2008年10月30日

(8)無関心な理由

とにかく現時点では、コーチングの発明者・提唱者・創設者は不明のようです。
もちろんこれが事実だとは思っていません。
結果的に「不明」なのではなく、戦略的、もしくは意図された不明と考えられます。

しかしそれにしても不可思議ではないですか?
コーチングはカウンセリングなどと同じ「対人援助業務」。
同じ対人援助業務であるカウンセリング(心理療法)で、精神分析を発明したのはフロイト、NLPを開発したのはジョン・グリンダーとリチャード・バンドラー、入門書には必ず明記されているし、それは他の心理療法においても同様です。
ところが誰が「ビジネスにコーチング」というパラダイムシフトを成し遂げたのか、どこにも「はっきり」と書かれていない。
コーチングが特に不思議なのは、対人援助業務を積極的にビジネス展開しているNLPにおいても、必ずジョン・グリンダーとリチャード・バンドラーの名前は出て来る。
NLPそのものは、裁判にまで発展した泥沼の覇権争いをその後経験しているにもかかわらず、です。

誤解のないように言っておきますが、確かに1959年にハーバード大学助教授だったマイルズ・メイスという人物が「マネジメントの中心は人間であり、人間中心のマネジメントの中でコーチングは重要なスキルである」という書籍(論文?)を残したのでしょう。
だけどこれは潮流とはならなかった。
何故なら、件の年表にも、メイスの論文がきっかけで一気にコーチングの研究や実践が始まった・・・等とは書かれていないのですから。

これは「後出しジャンケン」の典型的なレトリックです。
仮にマイルズ・メイル氏の論文を切っ掛けにしてビジネス・コーチングの研究が始まったのならば、まさにメイル氏が「コーチングの祖」とされるべきです。
しかしそういう流れにはなっていない。
明らかな時間的な断絶があるのです。

だからネーミングについてだけ想像してみれば、誰かがこのメイスの論文を後世になって読んで(もしくは見かけて)、激しいインスピレーションを得たのではないか。
とも考えられる。
しかしもっと重要なことは、パラダイムシフトのためには「すでにビジネスでコーチングという考え方は存在した」としておいた方が効果的、またはそういう流れが存在する必要があったということです。

「ビジネスでコーチ? なんだそりゃ! 社員にテニスでも教えるのか?(笑)」
「いえいえ、実は1959年時点で既に【ハーバード大学】の先生がビジネスにコーチングが有効であると論文発表してるんですよ」
「ほほー! ハーバードですかあ」

このように「ビジネスでコーチング」という概念は既にあったことにしておいた方が都合が良かったと考えられます。
だから・・・名乗りでない方がいい。

ただし、これも仮説です。
そして付け加えておくと、もしかしたらこの現状は、レナード氏の本意ではなかったのかもしれない。
少し言い方を変えると、

・・・最早レナード氏の存在を重要視していない
・・・もしくはその存在は今となっては邪魔でさえある
   (この件は後々書くと思います)

次ぎに、どうしてよりによって同じ年に、その後も大手であり続ける2つのコーチ養成機関が登場したのか?

これまでの推論に基づけば、答えは簡単に出て来ます。

たぶん、元々同じグループのメンバーだったのでしょう。
レナード氏とCTI創設者のどなたかが。

1992年以前に、コーチングをビジネスに取り込むことを思いついた人物を中心として「あるグループ」が共同で養成機関の設立準備をしていた。
それが何らかの事情で仲違いし、別々に組織を立ち上げた結果が2つの養成機関の同年設立の真相でしょう。
そしてたぶん手法や考え方はある程度まで一緒に練り上げた関係で著作権やらを主張しにくい関係になっている。

だから、お互いにお互いのことを批判しない。
と同時に協業もしない。
しかし流れ的には「Coach Universityが最初だよ」ということになっている。
そういうことにしておいていいよとCTI側が譲歩している感じです。
「コーチング・バイブル」にも、自分たちが最初だとは書いてないけど、コーチ・ユニバーシティが最初だとも書いてない。
不気味なくらいの無視、そして静かな緊張関係です。
わたしには、これらの事実から、初期メンバーの微妙な人間関係が垣間見られると感じられるのですが、これは単なる妄想に過ぎないのでしょうか?

しかし、両陣営が準備段階で協調関係にあったと思われる微かな痕跡が「コーチング・バイブル」の謝辞に見いだせます。
「その他の支援いただいた方」の中に、レナード氏の名前があるのです。

しかし考えてみると、先駆者争い・本家論争を行わなかったことで、結果的にコーチングは普及し、コーチ業界も大きくなりました。
これは予期せぬ恩恵だったと言えます。
しかしこの恩恵とは裏腹に、コーチングの定義と実情がひどく曖昧になりました。
誰もが勝手にコーチと名乗るようになった。
もはやコンサルティングとコーチングは同義です。
誰も明確な区別がつけられない。
また、残念なことに自己啓発セミナーにも利用された。
本来、無関係なはずのスポーツ界の指導者まで「コーチング」を語り始めた。

静かなる発明家達は、この現実をどう感じているのでしょう。
posted by Shigeo at 23:19| 【3】コーチングを発明した人々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月24日

(7)発明家のジレンマ

(7)発明家のジレンマ

では、この画期的なパラダイムシフトを「誰が」発明したのか?
当然、コーチング界では偉大なる存在として多くのエピソードやそのサクセスストーリーに関する記述であふれている・・・はず。
ところが、コーチング界で、この発明家に関して語られることはほとんどありません。
信じられない方は書店に行って、片っ端から「コーチング」に関する書籍を当たってみて下さい。
少なくとも「現代の『コーチング』につながる理論や仕組みを開発した人物」には、滅多なことでは行き当たらないと思います。

これは、とても不思議なことではないでしょうか?
仮に、多くの書籍が述べていることが事実で、「自然な流れ」でビジネスにコーチングが導入されたのだとしても、それにしても切っ掛けになった出来事やら著述があったと考えるのが自然。
更に疑うならば、Coach Universityの設立の切っ掛けは何だったのか?
何故、それらが明かでないのか?
それが論理的なものではなく、物語的で叙情的な事柄であったとしても、創業や発明に関する物語は、それなりに高揚感や感動的な逸話で彩られています。
それなのに「何故」創立時の物語が空白なのか?

さて、結論としてはCoach Universityの創設者は、トマス・レナード氏という方です。
後になってみれば違ったアプローチもあったのですが、わたしはこの人物にたどり着くのにとても苦労しました。

「難病患者を支えるコーチングサポートの実際(2002真興交易医書出版局)」

この書籍の中の「コーチングの歴史」に、以下のような記述があります。

米国では1980年代後半に「ビジネスの世界でコーチという存在が誕生した」
「著名なコーチとして知られるのはThomas Leonardである」
彼の独自の「スキルを体系化したものがコーチング」である。
「彼はその経験やノウハウを基に」「コーチ・ユニバーシティを設立した」

とても明解な記述です。
これでもう「ビジネスにコーチングを持ち込んだ創始者はトマス・レナード氏」で決まり・・・と結論付けたいところなのですが、どうも釈然としないのです。
何故か。
Coach Universityと日本での独占契約結んでいるコーチ21や、コーチ21の関係者が理事をされている日本コーチ協会のサイトには、どうしたことかレナード氏に関しての記述がないのです(以前紹介した古いブログは除く)。
まるで自然発生的にCoach Universityが創立されたかのようです。

では、コーチ21はレナード氏を創設者と考えていないのか?
とも考えられない。
というのも「難病患者を支えるコーチングサポートの実際」で「コーチングの歴史」などの執筆を担当されている方々は、コーチ21の方々です。

どうしても釈然としません。

とにかく日本で独占契約を結んでいるコーチ21からしてこんな矛盾を抱えています。
いずれにしろもう少し検証する必要が感じられます。

※上掲の書籍をきっかけにしてようやくコーチ・ユニバーシティの創設者が判明し、わたしはさっそくレナード氏の著作を調べました。
この結果にまた驚かされるのですが、それは改めて後述します。
ただ、今の時点で明らかにしておくべきことは、レナード氏も自身の著作の中で「1982年にパーソナル・コーチの仕事を始めた」「フィラデルフィアの新聞が最近(1998年前後)、『パーソナルコーチングの創始者はレナード氏だ』と書いた」とはっきりと述べてはいます。
が、残念ながら追随して事実を証明してくれる文献は存在しません。

世間には後になってから「実は以前から注目していたんだ」とか「絶対、ダメになると思っていた」などと発言するタイプがいますが、言うならばレナード氏のこれらの発言も同類と言わざるを得ず、いわゆる「後出しジャンケン」に過ぎません。
「有名」になった後で「実は1982年からやっていた」では、証拠としての説得力に欠けます。
(そういう内容の仕事をしていたことを否定したいわけではありません。あくまでネーミングの話)。

それと以前も書きましたが、同じ年に別のグループがCTIを設立している事実も見逃せません。

いくらビジネス展開が早い米国とは言え、Coach Universityが創設されたのを知ってただちに真似してCTIを創ったとは、あまりに考えづらい。
いうのも、コミュニケーションスキルの習得がテーマです。
思いついて直ぐに始められる性質のものではありません。
くわえて1992年以前にレナード氏は著作を発表していないようなので、CTIは創設メンバーはいったいどこでレナード氏の画期的なパラダイムシフトを学んだのか?

それと米国は訴訟社会です。
仮にCTIがCoach Universityのカリキュラムを模倣したのであれば、ただちに訴訟を起こされるのではないか?

このように、Coach Universityの創設者はThomas Leonard氏であるという指摘もあるが、その事実を裏付ける文献はあまりに乏しい、というのが現実です。

「発明者」という称号は大袈裟だったかもしれません。
が、創始者、提唱者、中心的人物・・・・それらの肩書きを有する人物すら見あたらない世界。
それが「コーチング」という業界なのです。
posted by Shigeo at 10:11| 【3】コーチングを発明した人々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月04日

(6)避けたかった事情

どうしてコーチングは「コーチング」という紛らわしい命名を選択しなければならなかったのか?
それはこういう理由です。

実は、ポジティブシンキングや成功法則は両刃の剣で、自己啓発セミナー業者に利用されやすい側面を持っていました。
そして事実、利用されてきたのです。
自己啓発セミナーも(一般的な)コーチングも、基本的思想は同じです。
「人間には無限の可能性が秘められている」
「常識や身に付いた考え方が邪魔をして、それらを発揮できていないだけだ」
別に考え方としては問題ないのですが、自己啓発セミナー業者にはピンからキリまでいました(そして現在も事情はあまり変わっていません)。
事実怪しいところは、受講者を部屋に閉じこめてほとんどマインド・コントロールのようなことをやってしまう。
被害者団体や救済組織なども存在し、カルト教団問題と酷似していますが、まさしくこの類似点が、自己啓発セミナーが敬遠される理由なのです。

分かりやすい例で説明します。
たとえば「新興宗教」と言っても、それはとても広く奥深い分野です。
しかし宗教というだけで身構える人たちはいる。
残念ながらこれは事実。
もちろん怪しくない教団、真面目で真摯な教団も多いのですが、一部のカルト教団のせいで、新興宗教そのものが「危険視」されてします。
自己啓発セミナーが抱える問題もこれとまったく同じです。

もう一つのやっかいな問題は、ポジティブシンキング・成功法則と自己啓発セミナーは、同じヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントから生まれたという事実です。
それ故にポジティブシンキングや成功法則は、詐欺的な自己啓発セミナーの中でも語られることになった。仕方ないのです。思想は同じなのですから。

このような背景があるから、同じ思想的背景を持つコーチングは、自己啓発セミナーに取り込まれない仕掛けがどうしても必要だった。コーチングを発明したグループはどうしても避けたかったのでしょう。
だから、なるべくポジティブシンキングとか成功法則、もしくは幸福を勝ち取るとか自己実現とか、そういう連想を避ける術を考えた。
それがヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントをまったく連想させないコーチングというネーミングだったのです。

もちろんすべて憶測の域を出ません。
が、根拠がまったくないわけではありません。

実は結局、コーチングは自己啓発セミナー業界に嗅ぎつかれてしまいました。
例えば自己啓発セミナーの問題を告発するグループでは、怪しいキーワード一覧に「コーチング」を含めています。「コーチングは怪しい場合がある」というのです。
この事実は、カルト教団と同様に危険だと指摘されている自己啓発セミナーで、コーチングがすでに利用されている事実を物語っています。

考えてみればこれはとても残念な経緯です。
なぜならどうしても避けたかった展開を、広く知られることで結果的に招いてしまったわけですから。
しかし考えてみれば、これはどうしても避けられない流れだったのかもしれません。
というのも自己啓発セミナー屋は、利用できるものは何だって利用するわけで、彼らにしてみれば「コーチング」は大量にストックしているアイテムの一つに過ぎないでしょうから。

それよりも、この画期的なネーミングのお陰で、社会に素早く浸透し、発明グループの思惑をはるかに超越して広まったのですから、ネーミング戦略は成功したととらえた方が健全で有益かもしれません。

さて、ではこれほどの発明を成し遂げたのは、いったいどんな方だったんでしょう・・・
posted by Shigeo at 23:30| 【4】コーチングの理論基盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月29日

(5)隠された思想的背景

とは言え、コーチングは間違いなく画期的なコミュニケーション・イノベーションです。
しかし、実際は何もかもが新しいわけではなかった。
たとえば、コーチング関連書籍で引用されることのある山本五十六の歌

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かぬ」

100%ではないにしても、コーチングの本質をかなり言い当てている歌です。
このことからも、コーチングに含まれるスキルや態度は、特段目新しいものではないことが明らかです。
この点は、コーチ21の伊藤守氏が既にご指摘されていることですが。

では何がイノベーションなのか?
それは、漠然と知られていたコミュニケーションの極意を、習得可能な形に整理したという点です。
この「習得可能」である点が重要です。
コーチングはそれ以前の教訓とか処世術とは一線を画すのです。

さて、ではネーミング以外は違和感なく受け容れられたコーチングとは、どんな思想や理論に基づいて編み出された手法なのでしょうか?

これは、オリジナルなネーミングを考案しパテント収入という不労所得の可能性を捨ててまで「コーチング」という名称を選択した事情と一緒に考えてみると分かりやすくなると思います。

つまり、隠したかった「思想」と「理論」があったから・・・と言うのがわたしの仮説です。
まずは「思想」について考えてみましょう。

当時米国の思想界で流行していたのはヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントと呼ばれる、人間の可能性をヒューマニスティックに追求しようとする運動です。
代表的なのが「ポジティブシンキング」や「成功法則」です。
東洋からヨガや瞑想も取り入れられ、ビジネスと宗教と科学が渾然一体となった不思議な運動でした。
(もちろん現在にも受け継がれています)

「願えば叶う」「願わなければ叶わない」
「成功しない者は、成功をイメージできていないから成功できない」
「世の中に偶然はなく、全ては必然である」
等々・・・

これはこれでもっともな意見なのですが、信念とか自己鍛錬とか集中力とか、そういう「個人」に過度な負担を強いる思想ともいえます。
加えて成功法則は「思考のパラダイムシフト」を強調するあまり、「思考法を会得したら後は一人で実践すること」と、人々を突き放す傾向がありました。
しかも失敗したら、それは先生のせいではなく信念の足りなかった本人のせい。
「成功法則を会得したら成功しない方が難しい」と言わんばかりの勢いです。

これでは逆にプッシャーとなって実行は容易ではないだろう・・・と考える人が現れても不思議ではなかったともいえます。

つまりコーチングは、成功哲学の一方的な教訓から人々を解放し、サポーター(コーチ)との共同作業というシステムに置換することで、机上の空論や運ではなく、現実的な成功や目標達成を目指せるシステムに再構築したものだと言えるのです。

ポジティブシンキングは確かに一理あるのですが、何事も行動が伴わなければ叶いません。
これは明白な事実です。
宝くじで一等賞金が欲しいとどんなに集中して願っても「実際に買わなければ」絶対に当たりません。
じゃあ、どうやって行動に移るのか?と考えたとき、ポジティブシンキング、成功法則は明確な答えを持っていませんでした。
かなり怪しい部類だと、寝ている間にメッセージを聞くと良いことが起こるとか、願い事を枕の下に置いて寝ろとかいうものまであります。
(驚くことに現在もそういう商材は存在します)

コーチングは、これらポジティブシンキング・成功法則の思想を具体的に、現実的に、実現可能なシステム化に成功しました。
まさか、誰かのサポートを得つつ成功法則を実践するなんて、今では当たり前ですが、当時は誰一人として考えつかなかったのでしょう。
故に、前回も指摘しましたがこれは画期的な「発明」なのです。

しかし新たな疑問も生じます。
それほど席巻していた思想であるなら、コーチングなんて紛らわしい名称にしないで「ポジティブマネジメント」や「ヒューマン・ポテンシャル・コンサルティング(センスのない例ですが)」等と命名すればよかったのではないか?
それが出来なかったのには理由があった・・・と考えられるのです。
posted by Shigeo at 10:10| 【4】コーチングの理論基盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年09月22日

(4)イノベーション

さて前回わたしは「コーチング」という画期的なコミュニケーションスキルは戦略的に「コーチ」「コーチング」と命名されたのであって、スポーツのコーチとは一切関係ないとの推察を述べました。
これはとても混乱を招く命名です。
では、どうして「わざわざ」コーチ・コーチングと名付けたのでしょうか?

実は・・・そのヒントというか答えはすでにあるのです。
不思議なことにネットの深部に眠り続け、何故か今はおおっぴらに語られていないだけで。
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以下はコーチ21の代表取締役会長 伊藤守氏のブログからの引用です。
http://www.itoh.com/index.html

2004年12月01日
http://www.itoh.com/2004/12/post_2.html
「「コーチ」という名前はもちろん知っていました。しかし、ビジネスマンに「コーチ」。これを初めて目にしたとき、とても新鮮でした。おそらく、組織のマネジメントに「コーチ」、このネーミングこそがイノベーションであると思います。」

2004年12月02日
http://www.itoh.com/2004/12/2.html
「印象としては、それは、あまりインパクトのあるものではありませんでした。
コーチングは、コミュニケーションをベースとしたスキルです。コミュニケーションそのものに、特に目新しさがあるわけでもなく、コーチング・スキルにも、特に惹かれるものはありませんでした。コーチとしての考え方やあり方にも、特に大きな違いは感じませんでした。」

「最初の「コーチ」と言う名前を聞いたときのインパクト、それから、なぜ、今「コーチ」であり「コーチング」なのかということについて、考えている間に、いくつかのパラダイムシフトがありました。」
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驚くことに、日本でのコーチングの先駆者にして随一のコーチ養成機関の代表である伊藤氏が、コーチングの内容に「インパクトのあるものでは」なかった、「特に目新しさがあるわけでも」なく、「特に惹かれるものでは」なかったと述べているのです。

もちろんこれは今現在のコーチングではなく、氏が初めて接した時代のコーチングに対しての感想です。
ただとにかく初期のそれは、決して画期的ではなかったらしいのです。

・・・それにしても、にわかには信じがたい記述です。

しかしわたしが注目したいのはこの部分ではありません。氏が「コーチ」という言葉に対して抱いた印象こそが重要なのです。
氏は「コーチ」という言葉は「とても新鮮」で「このネーミングこそがイノベーション」だと感じました。更に「コーチ・コーチング」という言葉から「いくつかのパラダイムシフト」の可能性を感じ取ります。

いかがですか?
まさにこのコーチという「言葉の持つ可能性」こそが、このコミュニケーションスキルを「コーチング」と名付けた最大の理由だとは考えられませんか?

つまり、こういうことです。
今まではコーチとはスポーツの世界だけのものだった。
それをビジネスに置き換えただけで、自動的にパラダイムシフトが起動する。
例えば、

<今まで>
上司→部下

<これから>
コーチ(上司)=プロスポーツ選手(部下)

言葉を変えるだけで、組織の歯車に過ぎなかった社員(部下)が、自立した才能あふれる人材に変容してしまうのです。こんな劇的なパラダイムシフトがビジネス界にかつて存在したでしょうか?
指導する・・・からコーチングすると言い換えただけで、組織の人間関係をも大変革してしまうのですから、言葉を重ねて説明する必要がないのです。

伊藤氏は、とても鋭い感性と先見性を兼ね備えた方だと推察します。
「ビジネスにコーチ」という文節を見ただけで、その奥深い可能性にいち早く気づかれ、自身のビジネスプランに取り入れたのですから。

以上、今回は、コーチングはコーチングと名付けることにこそ最大の意味があったこと。
すなわち「ビジネスでコーチ」という文節それ自体が、画期的なイノベーションとパラダイムシフトであったということを明らかにしました。

つまり、結果的に名称独占はできませんでしたが、考えようによっては、これは歴史に残る大発明でもあったのです。

何故か?
当時は一般には適用できないと考えられていたある理論と技法が、ビジネスやコンサルティングに適用できることを証明してしまったからです。

次回からは、コーチングの思想的背景について検証します。

2008年09月13日

(3)作られた歴史

前回わたしは、「コーチング」はスポーツとはまったく関係のない分野、業界から発想されたものあり、「コーチング」と名付けたが故に、スポーツと関係のある歴史を「後から」創作したのだと述べました。

その根拠は、穴だらけの年表にあります。
日本の古代史を再構築しているわけではありません。
たった20年ほど前の出来事を整理しているだけです。
それなのにこの驚くほど少ない情報量は何を意味するのでしょう?
わたしはこれこそが「作られた歴史」の動かしがたい証拠であると考えます。

さて、こんな架空の物語を思い浮かべてください。
これはあくまでわたしの想像です。
それは、現在のコーチング技法をビジネスに持ち込んだ人物がいたとして・・・の架空の会話です。

「これ、使えるよね」
「うん、使える。きっと流行る。○○に取って代われると思う」
「では何と名付けよう」
「『双方向的コミュニケーション・スキル』ってのは?」
「・・・なんか流行らなそうだなあ(苦笑) 」
「『能動的自己実現会話術』とか?」
「それ、怪しい自己啓発セミナーみたいだよ」
「う〜ん、困ったなあ。自己啓発セミナー屋には、嗅ぎつかれないようにしないと大変だ」
「ね、あれがいいんじゃない?最近、会議があったじゃん、有名なスポーツのコーチが集まってさ」
「あ〜あったね〜」
「だからそれだよ。『コーチ』」
「コーチ?」
「そう、提供する僕らがコーチで、行うのがコーチングなんだ。なんか、選手に寄り添いながらコールを目指すって、イメージよくない? 」
「いい、いい! 」
「『コーチはクライアントに寄り添い、クライアントが本来持っている能力や才能を開花させるお手伝いをします』いいじゃん!」
「おー、マラソンの伴走のようなイメージだね」
「でしょー? 」
「よし、これにするか!あ、でも・・・ 」
「どうしたの? 」
「『コーチ』では、パテント取れないぞ。あまりに一般的すぎる」
「それは仕方ないなあ。確かにパテント収入が無いのは残念だけど、知られている言葉を活用することで、逆に怪しいイメージは持たれないだろ。それと、僕たちがやろうとしていることはいわば『コーチ』と言う言葉のパラダイム・シフト、ブレーク・スルーなのだから、インパクトはかなりあると思うよ。逆に、スポーツのコーチングが源流だと思わせておけば、実は○○を参考にしたとか、△△が基本です、なんて言わなくても済むじゃん。これ、かなり大きいと思うよ」
「そうだね。○○や△△のことは内緒にしておかないとね・・・」
(以上、全て創作であり、現実の人物、団体とは関係ありません)


この架空の物語を、どう読まれましたか?
わたしはこう考えます。
コーチングとは「クライアント(依頼者)の自己実現をサポートするコミュニケーション話法」です。
これは誰もが否定しない。
しかしスポーツとはまったくの無関係な成り立ち、理論を有している。

つまり「スポーツから派生した」という歴史は、スポーツとの近似性を狙った戦略なのです。
コーチングと名付けることで社会への浸透性を計った戦略、そういう戦略としてのネーミングが「コーチ」「コーチング」なのだと考えます。


すでに存在した「コーチ」という単語を利用することを思いついて、それから隙間を埋めるために「コーチ」の語源や歴史を調べたのではないか?
そう考えた方が辻褄が合うほど、上記の年表は内容が薄いのです。
わたしには、コーチとビジネスを結びつけた「古い」資料を見つけるために、必死に図書館通いをした「誰か」の姿が目に浮かびます。

そして、この空白の10年間は、スポーツコーチングではなく、まったく別の分野のある理論、技法が注目され始めた時期でもあります。
もしかして「そのこと」をどうしても隠したいのではないか?
「コーチング」がスポーツから発展したという歴史を作るために邪魔だから。

もしかすると、今となってはこの問題はどうでもいいことなのかもしれません。
もうすっかりコーチングは浸透したのだから。

しかしそれでもここをはっきりさせる必要があるとわたしは考えます。
何故か?
スポーツがその源泉であると公言している限り、コーチングの本質が見えてこないからです。
それともう一つ、スポーツを源流にしようとするが故に、コーチング理論が構築できないという矛盾です。

「コーチングの理論ならあるのではないか?」
とおっしゃる方もいらっしゃるかと存じます。
しかしどうもそれも疑わしい。
が、この件につきましては、歴史の検証が終わった後に展開します。

2008年09月06日

(2)コーチングの歴史を検証する

日本における代表的なコーチング養成機関といえば「コーチ・トゥエンティワン(以後コーチ21と表記)」です。日本コーチ協会の設立を援助し、今も理事の中にはコーチ21関係者がいらっしゃいます。
そのコーチ21関係者の書籍やWebサイトでは、今の形のコーチングが始まった年代を以下のように記しています。これが今や既成事実となり、多くのコーチ、コーチ養成機関が当たり前のように引用を続けているものです。

「1992年にCoach Universityが設立されたのをきっかけに、いくつも同様の機関が誕生した」
つまり、Coach Universityが先駆者であることを示唆しています。

ところが米国には、もう一つの大手コーチ養成機関が存在します。
「CTI」です。
このCTI監修の書籍にはこう記してあります。

「CTIは1992年にローラ・ウィットワークとヘンリー・キムジーハウスによって設立され」
(引用「コーチング・バイブル」2002 東洋経済新報社)

わたしは「コーチング・バイブル」でこの記述を見たとき、心底驚きました。
Coach Universityだけではなく、同じ年にまったく同じ概念の養成機関がもう一つ誕生している。
Coach University(もしくはコーチ21)は、何を根拠に自身の「設立が普及のきっかけ」と宣言できたのでしょう?
創立年月日でしょうか?(ただし月日の記載はありません)
しかし後世(と言うほど昔の話ではないのですが)のわたしたちにとっては、創立日がどちらが早いかという問題よりも「どうしてまったく新しい理論(技法)が同じ年に同時に誕生したのか?」ということの方が気になります。

例えばカウンセリング・セラピーにおいては、成立後の離合集散はあるにしても、創設者は誰で、そこから独立した流派にはどんなものがあるか?など、きわめてオープンです。
そして誰もが容易に歴史をたどれます。

ところがコーチングは、どうでもいいような「coach」と言う単語の語源には必ず言及する(語源は「馬車」なのだそうです)のに、肝心なこの「1992年」前後について、これ以上語ろうとしません。

実はこれは一例です。
コーチングについては、他にも多くの点から「理屈に合わない」説明が多いのです。
わたしはそれらを「意図的に隠された」と感じました。
意図的に隠さざるを得ない(隠したい)背景があると。
したがって本コーチ論は、コーチング理論に言及する前に、どうしてもコーチング成立の背景を検証する必要があるのです。

コーチの語源はどうやら「馬車」らしいという話を簡単に述べました。
このコーチングと呼ばれるコミュニケーション手法をコーチングと命ずるために、必ずと言っていいほど「コーチングには、目的地に馬車で快適に乗客を送り届ける意味がある」と説明がつけられます。
こう言われると確かにしっくりきます。
納得感が高まるのです。
しかし、その説明が異様にしっくりくるが故に、この説明がコーチング哲学となって、他の可能性や理論化を阻んでいるとも言えるのです。

さて、「コーチ・コーチングという技法はスポーツのコーチ・コーチングに由来する」
これは誤り、もしくは意図的な曲解であり、正確には、あるコミュニケーション手法をコーチングと名付けただけだというのがわたしの仮説でした。
では何故そう考えるのか?

以下は、日本語文献やWebサイトでよく見かける「コーチングの歴史」です。

【1500年代】コーチという言葉が登場。元々は「馬車」という意味。
【1840年代】オックスフォード大学で、学生の指導をする個人教師のことをコーチと呼ぶようになる。
【1880年代】ボート競技の指導者をコーチと呼ぶようになる。
【1959年】当時、ハーバード大学助教授だったマイルズ・メイスが"The Growth and Development of Executives"という本(論文?)の中で「マネジメントの中心は人間であり、人間中心のマネジメントの中でコーチングは重要なスキルである」と記する。
【1985年】トム・ピーターズのコーチングに関する書籍 "A Passion for Excellence"が発刊される。
【1989年】デニス・キンロのコーチングに関する書籍" Coaching for Committment"が発刊される。
【1987年】アメリカを代表するスポーツコーチ達とコーチング研究者が一堂に会するマネジメント・セミナーが開催され、コーチングのテクノロジーについて語る。
【1992年】アメリカでコーチの養成機関の設立が相次ぐ。
【1992年11月】コーチという職業の倫理を明確にし、その質の維持を目的に、非営利団体国際コーチ連盟(International Coach Federation、通称ICF)が設立される。

馬車を意味するコーチという言葉がスポーツを経てビジネスの世界でも使われるようになったと流れが、とてもよくわかる年表です。
しかし、もう一度よく注意してこの年表を見てみましょう。
1959年に「マネジメントの中でコーチングは重要なスキルである」と書いたマイルズ・メイズについて、この事実以外に引用されたり指摘されている文献が見あたりません。
彼のこの言葉を引用する書籍はあっても、この言葉以外の箇所を引用した書籍がないのです。

つまり「年表の中でのみ存在する人物、論文」と言えます。

しかしこれは実はトム・ピーターズやデニス・キンローにおいても同じです。

一般的に年表は、「重要な」人物・文献が記載されます。
年表とはそういうものであるはずです。
従って、この年表に記載された人物・文献は、コーチング業界にあって、詳しく取り上げられたり分析される対象であるはず。
しかしそうではない現実がある。
であれば、彼等の存在は「年表を埋めるためだけ」に利用されているのではないかと考えられるのです。

次ぎに、大きなイベントであったかに感じられる1987年に開催されたマネジメント・セミナー。
この会議では、いったいどんな「コーチング論」が話し合われたのでしょうか?
しかし、このセミナーの中身に関して語られることは、やはりありません。
また、子細に点検すれば「コーチング研究者」とは、いったい何者なのかということが気になります。
さらに「何故、『コーチング・セミナー』でなかったのか?」ということも。

憶測するに「スポーツコーチ」とは監督・指導者。
「コーチング研究者」はチーム理論・スポーツ理論の研究者。
そして話し合われたテーマは「チーム・マネジメント」だったのではないか?
こう憶測するには理由があります。

この1987年の「スポーツコーチ達によるマネジメント・セミナー」の約5年後、一気に「ビジネスコーチ養成機関」の設立が相次ぎます。
わたしはこの急展開が不思議でなりません。
というのも「どうしてこの5年間にコーチングに関する文献が存在しないのだろう?」

たとえばこの5年の間に「スポーツコーチとビジネスコンサルタントが、マネジメントについて対話をする」や「スポーツコーチングのビジネスへの応用について」などと題された書籍や論文が相次いで刊行される・・・などという流れがあっていいはずです。
なぜなら1987年当時すでに「コーチング研究者」が存在したのだから。
そういう流れがあって初めてコミュニケーション技法としてのコーチングとスポーツのコーチが結びつくのではないでしょうか?

いや、実際あったのかもしれない。その事までを否定したいわけではありません。
しかしながら、中身について一切引用も解説もされないマイルズ・メイルの様な方々についてはわざわざ年表に書き記し、何故1987年から1992年の間に存在したかも知れない研究やら書籍への言及が皆無なのだろう?
これはあまりに不可思議で理屈に合いません。

この検証からわたしが導き出した結論はこうです。
「コーチング」は、スポーツとはまったく関係のない分野、業界から発想されたものあり、
「コーチング」と名付けたが故に、スポーツと関係のある歴史を「後から」創作したのだと。

2008年08月30日

(1) コーチングとの出会い

コーチングはとても画期的で有用な対人援助技法です。
くわえて「導入効果が測定しやすい」
また偶然なのか時代的な要請だったのか、同時期に開発された経営戦略手法「バランス・スコアカード」との親和性が高く、バランス・スコアカードと同時にコーチングを導入すると、さらに導入効果が向上すると言われています。
それ故に企業への導入が促進され、大手企業で一度もコーチングに触れていない企業は存在しないのではないか?
などと言われたりもします。

日本でコーチングが一気に広まったきっかけとして、日産自動車のゴーン社長の存在があげられます。
ゴーン氏は、経営危機に陥った日産自動車に乗り込み、様々な革新的な施策を断行し、日産自動車のV字改革を成し遂げました。
実は、彼が矢継ぎ早に実施した改革の中の一つにコーチングがありました。
日産自動車では全管理職にコーチング研修を行い、現場での実践を義務づけたそうです。
それまでは、用事があると部下をデスクに呼びつけ、背もたれに寄りかかったままで話を聞いていた管理職たちが、コーチング研修を受けた後、自ら部下のデスクに赴き、腰を落として部下と同じ目の高さでにこやかに話しかける・・・
そんな情景が、テレビなどのメディアで幾度も取り上げられ、これによってコーチングが広く日本に知られることとなったのです。

しかしこれはある意味、衝撃的な出来事でした。
日本にはホワイト・カラーの現場にも「技術は教わるのではなく盗め」という慣習が根強く残っていて、たとえば営業職にあっては、バブル崩壊後様々な価値観が崩壊したにも関わらず「根性」「足で稼げ」「体育会系」などが依然としてキーワードとして通用していたのです(現在でも見受けられることは少なくないのですが)。
当然、上司には強く厳しい態度や気持ちが求められます。
成果主義が取り入れられてからは尚更でした。
ところがメディアで取り上げられた日本を代表する企業の変革の様子が、ホワイト・カラーの「理想の管理監督者像」を一変させてしまったのです。

また、ビジネス・コーチングがそれほど抵抗なしに受け容れられた背景として、何よりも部下に受けがよかったからだと考えられます。
それは考えてみれば当然。
なにしろ高圧的で否定的で独善的だった上司が、人格が180度変わったように、友好的で肯定的で協調的になったわけですから。

たぶん、この出来事をきっかけとして、世代間のコミュニケーションギャップに腐心していた多くの企業で、コーチングの導入が加速化されたのです。
ビジネス・コーチングは、ゴーン氏が日本に広め、根付かせたと言っても過言ではないでしょう。

もちろん日産自動車に導入されるまで、日本にコーチングがなかったわけではありません。
なかったどころか、コーチングを日本で初めて紹介し、いち早く提供を始めていた組織があったからこそ、日産自動車は容易にコーチング研修を導入できたのです。

いつも感心させられるのは、どんな分野にも先見性を持った人物が存在するということ。
日本のコーチングも、まさに天才的な先見性を持ち合わせていたある人物によって普及したのでした。
(いずれ、この方についても言及します)

ところで、わたしコーチングと出会ったのもこの動きのさなかでした。
最初に手に取った書籍は、スポーツ・トレーナーによる(ビジネスでも活用できる)コーチングの入門書でした。
が、実はこのとき、わたしはコーチングに何の意味も価値も見いだせなかったのです。
それは単なる「チーム・マネジメント」を語っているように感じられました。
なんだか損をした気分と、自分の理解力が足らないのかという負い目と、その両方を感じたことを今も覚えています。
まとめると「釈然としない」感じでした。

実は、これが現在も続く「コーチングの最大の誤解」なのですが、この時はそんなことを知るよしもなく、わたしは「コーチングはつまらない」と結論付けてしまったのです。

さて、再度コーチングと出会ったのは、わたしがカウンセリングを始めてからのことです。
様々なカウンセリング理論を学ぶ過程で、コーチという肩書きを持つ人たちと出会いました。
しかし彼等が語るコーチングは、かつてわたしが手に取った書籍の内容とはまったく異なりました。
異なりましたが、その時は(その理由を)深く考えず、勧められるままに推薦図書を読み、そしてようやく合点がいったのです。

以来わたしは、カウンセリングを行いながら、コーチングを学び始め、今に至ります。

このようにして日本に根付いたコーチングですが、それではいったいコーチングとは、いつ誰が考え出した理論(もしくは技法)なのでしょう。
ふつう・・・・新参者はこういうことが気になります。
少なくともわたしは知りたいと思いました。
そして大抵は書籍の奥付に年表や参考文献があって、それを切っ掛けに源流をたどっていけば事足りるのです。
ところがわたしは、ここで思わぬ苦戦を強いられました。
結論から述べれば「わからない」のです。
途切れ途切れに散在するエピソードが、不思議なことにつながらない。

これが最初の違和感。
最初の疑念でした。
それではまず、コーチングの歴史について検証していきましょう。

2008年08月23日

誰も書かなかったコーチング論

「誰も語らなかったコーチング」




「コーチング」といわれるコミュニケーション技法があります。

主にビジネスの現場で活用されることが多く、社員教育・人材育成の商材として取り扱われます。
たとえば部下とコミュニケーションのとれない上司が、部下のモチベーションを高めつつ「自立型人材」に育てるとか、部下の目標達成をサポートしつつ、部署(チーム)全体の目標を達成する手段にとか。

これらをコーチ業界では「ビジネス・コーチング」と呼びます。

別に、生活上の諸問題を解決する手段としても用いられます。
広くは人間関係の悩み・問題、細分化していくと配偶者や子供に関しての問題(家族不和やコミュニケーションの取り方など)、職場や学校での人間関係・友達作り、恋愛に関する様々な悩み、仕事と家庭の両立、転職や進路について、生き甲斐ややり甲斐が感じられないことの悩み、自分さがし等々・・・

これらをコーチ業界では「パーソナル・コーチング」と呼びます。

これで全てではありません。

特に経営者、経営幹部に対するコーチングは「エグゼクティブ・コーチング」と称され、コーチングの中でも別格的に扱われることが多いようです。

さらに、目標が明確で具体的なテーマ、受験、資格取得、独立開業、出世立身等々についても、コーチングは有効とされます。
これらを「エグゼクティブ・コーチング」に含める考え方と、含めない考えがあります。
「エグゼクティブ」という大げさな表現を無視すれば、わたしも含める立場に立ちます。

いずれにしろこれらが押し並べて「コーチング」と呼ばれ、ある共通した技法とスタイルを有します。有するが故に「コーチング」と総称されるのです。

ある共通した技法とは「傾聴」「承認」「質問」というコミュニケーション技法です。
詳しくは別の章で紹介しますが、いずれもコミュニケーションを活性化させる、思考を活発化させる対人関係性に関わる技法です。
具体的にはコーチが「傾聴・承認・質問」という技法が有用に機能することで、クライアント(依頼者)の思考が活性化され、問題解決(課題達成)に向けた取り組みが具体化されていく、というプロセスを構築します。

共通のスタイルとは、セッションの方法です。
セッションとは、コーチとクライアント(依頼者)が対話を行う物理的な時間(契約単位)を指します。
セッションは主に電話での30分程度のやりとりを、週一回とか月数回ペースで継続するというスタイルをとります。
またコーチとクライアントは一度も顔を合わせない場合が多いと聞きます。
(実際、わたしもほとんど顔を合わせません)

ところで、「コーチ」と聞いてまず思い浮かべるのはスポーツのコーチではないでしょうか?
しかし上記の説明とスポーツのコーチでは微妙に(いや、明確に?)ニュアンスが異なる感じはしませんでしたか?

また、「コーチ」という言葉はよく見聞きしますが、「コーチング」となると、あまり馴染みがないように感じます。

「コーチ」はスポーツ界で広く使われている言葉です。
日本人にとってとても馴染みのある外来語の一つだと思います。
しかし不思議なことに彼等は「コーチング」をしません。
メディアや雑誌・書籍の中でも見聞きしません。
彼らは何をするか?
スポーツのコーチは「指導」をします。

このことに違和感を感じるの、わたしだけでしょうか?

この、微妙なニュアンスだけを取り上げても違和感はあるわけですが、今、初めてコミュニケーション技法としての「コーチ・コーチング」を知った方は驚かれるかもしれませんが、実はコーチ・コーチングは「スポーツのコーチング理論」から派生したと解説されてきました。

事実コーチング業界では、スポーツ界で実績を多く残した指導者を、コーチングの達人として紹介することがたびたびあります。
しかし彼らが上記の(コミュニケーション技法としての)コーチングに特化した技法でチームをまとめ上げ、それだけで成功を収めたとは考えにくくはないですか?
それどころか、一切(私たちのよく知っている)「指導」抜きで、スポーツ界で成功することが本当に可能なのでしょうか?
というのも、ビジネスで成功を収めた者が、メジャーなスポーツのコーチ(指導者)に転身して成功はしたという話を聞いたことがないからなのです。

どうもスポーツで成功することとビジネスで成功することや人生を豊かにすることとは、別物なのではないかと思えてならないのです。

逆に、スポーツ界から転身してビジネスでも成功する者はいるでしょう。
しかしこれはスポーツ界に限ったケースではありません。
たとえば芸能界から転身した成功者の例なら、誰でも一つや二人あげられるのではないでしょうか?
それなのにセミナーや研修では、相変わらずスポーツ界の指導者を「コーチングの達人」として紹介し続ける・・・

これもまた違和感です。

どうやら我々の認知している「コーチ」と「コーチング」は別物なのかもしれないのです。
と言うか、この曖昧さをどうして日本のコーチ業界が放置してきたのか、不思議でしかたがありません。

さて、いきなり結論を述べれば、コーチングとはスポーツ界のコーチと関連があるかの如く装い、その誤解を味方にして発展してきた、従来から存在した「ある手法」に過ぎないのではないか?

この疑念が、本論を書くに至った最大の動機です。

また本論では、特定の団体・組織について言及することが多々ありますが、これはそれらの団体・組織に対して異議を申し立てたいからではありません。
この点に関しては強く指摘しておきたいと思います。
というのも、コーチング業界は「何故か」情報量が異常に少ないからなのです。
ソースが限られるから、言及する対象も限られる。

書店のビジネスコーナーには「コーチング」関連の書籍があふれ、コーチング講座も多く開催されていると言うのに、この情報量の「異常な少なさ」も、もう一つの大きな疑問です。
(たとえば「コーチング論・コーチング理論」と題された書籍は皆無に等しいのです)

しかし少ないながらも、この推論により、真実に可能な限り近づけたと、わたしは今思っています。
が、同時に、これはわずかな事実と多くの憶測に過ぎないと指摘される可能性も高いと覚悟しています。
なぜなら、資料があまりにも少ないから。

しかしわたしは思います。

わたしは、未だ誰も試みなかった領域に踏み込んだのだと。
だから、本論がきっかけとなり、コーチングについてもっと正直な論議が活発になるのなら、それこそが本論の最大の功績になるかもむしれないと。

わたしは、いわゆる「コーチ・コーチング」を否定するつもりは微塵もありません。
それどころか、とても有用で画期的なコミュニケーーション技法だと思っています。
ただ、誤解されたり歪曲されて利用されることも多いわけで、それが何故なのかと考えると、どうも「コーチ・コーチング」には何かしらの思惑が潜んでいるからなのではないかと勘ぐらざるを得ないわけです。

はっきり言えば、利潤追求ですね。
コーチングのドクマが、まずそこにある。
だから、語らない方がメリットがあると考えている人たちがいる。

しかし、そこから解放されても、コーチングは有益であることにかわりはないのではないか?
とわたしは思うのです。
それどころか、もっと自由にコーチングを語った方が、コーチングに関して有益であるかもしれない。
いや、もっと言えば、このままで、コーチングの未来はあり得るのかという疑問です。

実は、どれくらいのコーチが気づいているのか知りませんが、コーチングと競合する技法はけっして少なくありません。
しかも他の技法は日々修練を重ねています。
もともと従来の技法の寄せ集めであるコーチングですが、他の技法は多くの研究機関で臨床を含めて研究され続けており、いずれコーチングの基盤となっている技法が「過去の遺物」となる日が来るかもしれない。
そうならないためにも、もっとコーチングについてオープンに議論した方がいいのではないか?

どんなに自由に語っても、コーチングの素晴らしさは曇ることはないと思うのですが・・・


本論の構成は以下の通りです。
まず、コーチングの不自然な歴史について検証します。
この結果から、コーチングが自然発生的に生まれた技法ではなく、意図的に社会に送り出されたシステムであることが確認されます。
次に、誰がコーチングを生み出したかについて検証します。
この結果から、コーチングがどうしてこんなにも多様性を持つのか、どうして統一理論化がなされなかったのかが確認されます。
最後に、コーチングの基盤となる他の技法について検証します。
この結果、逆説的にコーチングの画期的な先進性が明らかになります。

いずれにしろ本論は、コーチングを貶めるために書かれたものではなく、この議論から、新たな展開を見いだすために書かれました。

筆者、尾内のコーチング理論「ALIVEコーチング」については、別ブログ「今日から始めるセルフ・コーチング」で詳細を明らかにしていく予定です。
この特徴を簡単に述べるなら、契約期間が短期(平均三ヶ月)で、契約延長を原則しないことと、クライアントがセルフ・コーチングできるようになることが最終目的であるという点に尽きます。

つまり「コーチからの卒業」がゴールです。
たぶん、ほとんどのコーチが絶対に発想できないゴールではないでしょうか?

また、別ブログ「今日から始めるセルフ・コーチング」と本論は相互補完関係にあります。
併せてお読みいただけると、コーチングについてさらに深い理解が得られると思います。
posted by Shigeo at 11:19| 【1】序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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