2008年09月29日

(5)隠された思想的背景

とは言え、コーチングは間違いなく画期的なコミュニケーション・イノベーションです。
しかし、実際は何もかもが新しいわけではなかった。
たとえば、コーチング関連書籍で引用されることのある山本五十六の歌

「やってみせ、言って聞かせて、させてみて、ほめてやらねば、人は動かぬ」

100%ではないにしても、コーチングの本質をかなり言い当てている歌です。
このことからも、コーチングに含まれるスキルや態度は、特段目新しいものではないことが明らかです。
この点は、コーチ21の伊藤守氏が既にご指摘されていることですが。

では何がイノベーションなのか?
それは、漠然と知られていたコミュニケーションの極意を、習得可能な形に整理したという点です。
この「習得可能」である点が重要です。
コーチングはそれ以前の教訓とか処世術とは一線を画すのです。

さて、ではネーミング以外は違和感なく受け容れられたコーチングとは、どんな思想や理論に基づいて編み出された手法なのでしょうか?

これは、オリジナルなネーミングを考案しパテント収入という不労所得の可能性を捨ててまで「コーチング」という名称を選択した事情と一緒に考えてみると分かりやすくなると思います。

つまり、隠したかった「思想」と「理論」があったから・・・と言うのがわたしの仮説です。
まずは「思想」について考えてみましょう。

当時米国の思想界で流行していたのはヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントと呼ばれる、人間の可能性をヒューマニスティックに追求しようとする運動です。
代表的なのが「ポジティブシンキング」や「成功法則」です。
東洋からヨガや瞑想も取り入れられ、ビジネスと宗教と科学が渾然一体となった不思議な運動でした。
(もちろん現在にも受け継がれています)

「願えば叶う」「願わなければ叶わない」
「成功しない者は、成功をイメージできていないから成功できない」
「世の中に偶然はなく、全ては必然である」
等々・・・

これはこれでもっともな意見なのですが、信念とか自己鍛錬とか集中力とか、そういう「個人」に過度な負担を強いる思想ともいえます。
加えて成功法則は「思考のパラダイムシフト」を強調するあまり、「思考法を会得したら後は一人で実践すること」と、人々を突き放す傾向がありました。
しかも失敗したら、それは先生のせいではなく信念の足りなかった本人のせい。
「成功法則を会得したら成功しない方が難しい」と言わんばかりの勢いです。

これでは逆にプッシャーとなって実行は容易ではないだろう・・・と考える人が現れても不思議ではなかったともいえます。

つまりコーチングは、成功哲学の一方的な教訓から人々を解放し、サポーター(コーチ)との共同作業というシステムに置換することで、机上の空論や運ではなく、現実的な成功や目標達成を目指せるシステムに再構築したものだと言えるのです。

ポジティブシンキングは確かに一理あるのですが、何事も行動が伴わなければ叶いません。
これは明白な事実です。
宝くじで一等賞金が欲しいとどんなに集中して願っても「実際に買わなければ」絶対に当たりません。
じゃあ、どうやって行動に移るのか?と考えたとき、ポジティブシンキング、成功法則は明確な答えを持っていませんでした。
かなり怪しい部類だと、寝ている間にメッセージを聞くと良いことが起こるとか、願い事を枕の下に置いて寝ろとかいうものまであります。
(驚くことに現在もそういう商材は存在します)

コーチングは、これらポジティブシンキング・成功法則の思想を具体的に、現実的に、実現可能なシステム化に成功しました。
まさか、誰かのサポートを得つつ成功法則を実践するなんて、今では当たり前ですが、当時は誰一人として考えつかなかったのでしょう。
故に、前回も指摘しましたがこれは画期的な「発明」なのです。

しかし新たな疑問も生じます。
それほど席巻していた思想であるなら、コーチングなんて紛らわしい名称にしないで「ポジティブマネジメント」や「ヒューマン・ポテンシャル・コンサルティング(センスのない例ですが)」等と命名すればよかったのではないか?
それが出来なかったのには理由があった・・・と考えられるのです。
posted by Shigeo at 10:10| 【4】コーチングの理論基盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年10月04日

(6)避けたかった事情

どうしてコーチングは「コーチング」という紛らわしい命名を選択しなければならなかったのか?
それはこういう理由です。

実は、ポジティブシンキングや成功法則は両刃の剣で、自己啓発セミナー業者に利用されやすい側面を持っていました。
そして事実、利用されてきたのです。
自己啓発セミナーも(一般的な)コーチングも、基本的思想は同じです。
「人間には無限の可能性が秘められている」
「常識や身に付いた考え方が邪魔をして、それらを発揮できていないだけだ」
別に考え方としては問題ないのですが、自己啓発セミナー業者にはピンからキリまでいました(そして現在も事情はあまり変わっていません)。
事実怪しいところは、受講者を部屋に閉じこめてほとんどマインド・コントロールのようなことをやってしまう。
被害者団体や救済組織なども存在し、カルト教団問題と酷似していますが、まさしくこの類似点が、自己啓発セミナーが敬遠される理由なのです。

分かりやすい例で説明します。
たとえば「新興宗教」と言っても、それはとても広く奥深い分野です。
しかし宗教というだけで身構える人たちはいる。
残念ながらこれは事実。
もちろん怪しくない教団、真面目で真摯な教団も多いのですが、一部のカルト教団のせいで、新興宗教そのものが「危険視」されてします。
自己啓発セミナーが抱える問題もこれとまったく同じです。

もう一つのやっかいな問題は、ポジティブシンキング・成功法則と自己啓発セミナーは、同じヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントから生まれたという事実です。
それ故にポジティブシンキングや成功法則は、詐欺的な自己啓発セミナーの中でも語られることになった。仕方ないのです。思想は同じなのですから。

このような背景があるから、同じ思想的背景を持つコーチングは、自己啓発セミナーに取り込まれない仕掛けがどうしても必要だった。コーチングを発明したグループはどうしても避けたかったのでしょう。
だから、なるべくポジティブシンキングとか成功法則、もしくは幸福を勝ち取るとか自己実現とか、そういう連想を避ける術を考えた。
それがヒューマン・ポテンシャル・ムーブメントをまったく連想させないコーチングというネーミングだったのです。

もちろんすべて憶測の域を出ません。
が、根拠がまったくないわけではありません。

実は結局、コーチングは自己啓発セミナー業界に嗅ぎつかれてしまいました。
例えば自己啓発セミナーの問題を告発するグループでは、怪しいキーワード一覧に「コーチング」を含めています。「コーチングは怪しい場合がある」というのです。
この事実は、カルト教団と同様に危険だと指摘されている自己啓発セミナーで、コーチングがすでに利用されている事実を物語っています。

考えてみればこれはとても残念な経緯です。
なぜならどうしても避けたかった展開を、広く知られることで結果的に招いてしまったわけですから。
しかし考えてみれば、これはどうしても避けられない流れだったのかもしれません。
というのも自己啓発セミナー屋は、利用できるものは何だって利用するわけで、彼らにしてみれば「コーチング」は大量にストックしているアイテムの一つに過ぎないでしょうから。

それよりも、この画期的なネーミングのお陰で、社会に素早く浸透し、発明グループの思惑をはるかに超越して広まったのですから、ネーミング戦略は成功したととらえた方が健全で有益かもしれません。

さて、ではこれほどの発明を成し遂げたのは、いったいどんな方だったんでしょう・・・
posted by Shigeo at 23:30| 【4】コーチングの理論基盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月12日

(13)分類という混乱

前回で、コーチングの源流をたどる検証は終わりました。
今回からは「コーチングとは何なのか」という本論です。
まず結論から申し上げれば「(いわゆる)コーチング論・コーチング理論は存在しない」というのがわたしの主張です。
根拠としては「学術的に研究された書籍・論文が(日本では)存在しないから」です。

この検証を開始するにあたってまずコーチングにおける「ジャンル」について考察します。

これまでにわたしが明らかにしたことから以下のコーチングの潮流が見えてきました。

フィナンシャル・プランナーのノウハウを追求して「対人援助技法」を構築したのはトマス・レナード氏。
心理療法の理論や技法を積極的に取り入れて人間性の成長をサポートしようとし「対人援助技法」の基礎を築いたのはCTIの創設者たち。
現代に至るコーチングの広がりは、全てこの2者を基点としています。
どんな流派・思想であってもいずれかの影響下にある。
つまり「コーチングは異なる2つの思想を最初から有している」
言い換えるなら「コーチングは異なる2つの思想をその出発点とした」

しかし両者にも違えない共通点があります。
それはいずれも「自己実現」を目指しているということ。
これこそがコーチングと命名された対人援助技法が、当時の米国を席巻していた「ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント」の影響化で誕生した明白な証拠です。
(それ以前に「自己実現」という発想は知られていなかった)

ここでは仮にコーチ・ユニバーシティ派を「自己達成型コーチング」
CTI派を「自己成長型コーチング」と名付けます。

理由としては、コーチ・ユニバーシティ派は具体的なゴール(資産・待遇・資格等の獲得)を有し、目標達成を目的とする傾向が強いからです。
またCTI派は、ゴールが目に見えない、形とならない場合があるなど、「心の安定」や「充足感」を目指す傾向が強いからです。

しかし現代において、このような分類はなされません。
上記は「思想」を基準とした分類であって、このような分類はずっと避けられてきたのです。

現在のコーチングを大まかに分類すると、
1.パーソナル・コーチング
2.エグゼクティブ・コーチング
3.ビジネス・コーチング
の3つに集約されます。
更に細分化すれば無限と感じられるほど専門性に特化したコーチングは存在しますが、いずれも上記の3点に分類可能です。

いずれにしてもこれらの分類は「様式」上の分類です。
言うならば「どういう立場のクライアントに対して実施されるか?」という分類です。
これをカウンセリングで例えるなら、会社員と主婦と社長に対してカウンセリングの名称が異なると言った具合です。
・・・と例えると、とても不思議でおかしな分類だとは感じませんか?
しかし誰も不思議と思わずに、こんな不可思議な分類を是としてきたのです。

この様式的分類法(関係性分類法)が如何に矛盾に満ちているか、もっとも限定的と思われるエグゼクティブ・コーチングについて考えてみましょう。

これは主に経営者クラスに対して実施されるコーチングを指し、概ねパーソナル・コーチングより単価が高く、コーチングの中では珍しく専門性が不可欠というのが特徴です。
(コンサルティング能力が必須とも言われます)
また経営者クラスがクライアントなのですから当然、業績・収益向上がゴールになると考えられます。
したがって思想的分類上での「自己達成型コーチング」とイコールではないかとも考えられます。

しかしここに有名な事例があります。
かつて米国GEのジャック・ウェルチ会長が28歳の女性コーチを雇っていたという逸話です(オリジナルソースは不明ですが)。

このコーチは経営や電機産業についてもまったくの素人で、このことから「コーチングは専門分野でなくても可能である」という主張を引き出す道具として語られている事例です(というか、その論法を引き出すために紹介された事例でしょう
)
しかしウェルチ氏の意図はどこにあったのか?と考えれば想像は容易です。
氏は一種のブレーン・ストーミングを期待したのでしょう。
価値観も立場も境遇もまったく異なる相手と話すことによって、自身の思考が活性化されることを望んだ。
または思考の硬直化を防止しようとした。
こう考えるのが妥当です。
そしてこの想像が妥当であるのなら、この「28歳の女性コーチ」が持ったセッションは果たして「エグゼクティブ・コーチング」と言えるものだったのでしょうか?
明白なのはクライアントが「エグゼクティブな立場」であったというだけです。
高度なコンサルティング能力も、多くの経験も必要ないというならば、そもそも「エグゼクティブ・コーチング」と名付ける必要がないのです。

このように現代の分類は単に「様式」「関係性」を指しているに過ぎません。
コーチの特性や思想、得意とする手法に応じた分類(もしくは定義)を現す言葉はありません。
企業でコーチングを受ければ「ビジネス・コーチング」ですが、同じテーマをプライベートで語れば「パーソナル・コーチング」に変わります。
経営者が家族間問題の解決を望んだら、いったいそれはどこに分類されるのでしょう。
主婦と経営者では、家族問題に対して異なるアプローチが存在するのでしょうか?

次ぎにビジネス・コーチングについて考察しましょう。
ビジネス・コーチングは一対一でセッションを持つ場合と、グループ・コーチングとして集団に用いられる場合があります。
また対人援助というよりは人材(プロセス)マネジメントの比重が高く、そういう意味では特別な知識・経験がないと務まりません。
しかし今述べた専門性は「コーチング特有の技法」ではありません。
すでに世の中に存在する「人材(プロセス)マネジメント技法」です。
したがってどんなに専門性が高くても、ビジネス・コーチングに特有な「コーチング技法」については何も説明できていないのです。

つまり、わたしの結論はこうです。
現代の分類法では、コーチの特徴や資質を推し量ることは不可能。
極端に細分化されたネーミングでも事態は同じです。
例えば「恋愛コーチ」と名乗るコーチが、色恋の知識や経験が豊富なことは容易に想像できます。
しかしどのような手法や技法を得意とするのかまったく判然としません。
これはカウンセラーが「得意なのはカウンセリングです」と言っているようなものです。
語弊があるかもしれませんがもっと分かりやすく例えるならば、占い師が「わたしは恋愛の占いをしています」と言っているのは同じ事なのです。
道具として水晶を使うのかタロットカードを使うのか手相を見るのか語ろうとしない占い師がいたらどうでしょう。
結局いまの分類法は何も説明していない。
いや、説明不可能な分類であって、この分類法だけが一人歩きをしているのです。

そもそもコーチを名乗る人は、自分の手法・技法的な特徴を、いったいどれだけ差別化できているのでしょうか?
いつの間にか自明となった分類法によって、自分の特徴を見失ってはいないだろうか?

さて、このような論考からわたしは、コーチングはまず「自己達成型コーチング」と「自己成長型コーチング」に分類すべきだと提案します。

そして自己達成型コーチングは、各種コンサルティング・マネジメントの異名であると結論付けます。
また自己達成型コーチングは、ある種のカウンセリング、心理療法の翻案であるとやはり結論付けます。

この2つのコーチング思想を無自覚的に取り入れ同次元で扱うため、コーチングは思想として混乱するのです。
posted by Shigeo at 08:58| 【4】コーチングの理論基盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月21日

(14)カウンセリングとの違いとは

前回わたしは、現在流布しているコーチングの分類法「エグゼクティブ/パーソナル/ビジネス」では、コーチングの特徴や得意とする技法は明らかにならないと指摘しました。
そして自己達成型コーチングは、各種コンサルティング・マネジメントの異名であり、自己達成型コーチングは、ある種のカウンセリング、心理療法の翻案であると考えれば全てがクリアになると述べました。

今回は「自己実現型コーチング=カウンセリング、心理療法」とわたしが主張する根拠について検証します。

その前に、コーチングセミナーやコーチング入門書で(頻繁に)見かける以下の記述について検証しなければ先に進めません。
それはコーチングとカウンセリングの違いについて述べられる説明で、多くは「コーチングとティーチングの違い」、「コーチングとコンサルティングの違い」と同列で扱われます。
では「コーチングとカウンセリングの違い」はどう説明されているのか?

「カウンセリングは原因探求、コーチングは未来探求」
「カウンセリングは過去に遡って問題となって原因を取り除く手法で、コーチングは未来に向かって解決を目指すものであり、両者は根本的に違う」等です。
オリジナルソースは明かでなく、推察ではコーチ・ユニバーシティのテキストに原典があるのではないかと感じますが、この説明に触れたことのある人であれば、どうしてわたしがコーチング=カウンセリングと主張するのか不審に感じられるかもしれません。

しかし実は、この説明は事実を歪曲しています。

確かにカウンセリング・心理療法の祖はフロイトであり、彼が発明したものが「原因遡及型」の精神分析でした。
しかし現在カウンセリング・心理療法には多くの流派があって、特に近年においては原因遡及型の心理療法は最早主流ではありません。
ブーム(と言う言い方も変ですが)となっているのは、解決志向、短期、行動、認知などに焦点を当てた流派で、いずれも「過去に遡って問題となっている原因」を取り除いたりはしません。
(それどころか原因すら特定しません)
したがってコーチングが比較対象としているカウンセリング(心理療法)は、具体的には「精神分析療法」に限定されます。

確かにフロイドは現代カウンセリング・心理療法の祖です。
しかし現代では主流ではなく、あくまでも「数多あるカウンセリング・心理療法の一流派」に過ぎません。
それをあたかも「カウンセリングの共通理念」のごとく取り扱い比較する。
この歪曲をどう解釈すればいいのでしょう?

「それは単なる事実誤認ではないか?」と擁護される方がおられるかもしれません。
が、残念ながら後述する通り、コーチングが「解決志向、短期、行動」に注目した比較的新しい心理療法から多くの技法を取り入れている事実から「未来志向、解決志向なカウンセリングの存在は知らなかった」という主張はまったく受け容れられません。

さて、いずれにしろコーチングの最大の問題は、それらの源流や基盤を明確にしていないことに尽きます。
たとえば多くの書籍では「コーチング理論では、クライアントをサポートすることで成長ができるとされ」などと、いきなりコーチング理論が自明のものとされています。
しかしレナード氏は明確に「利益を得ることが」コーチングであると述べています。
コーチングの基本であるクライアントの自発性を促す「傾聴・承認・質問」に関しては一言も述べられていません。
しかしこれはCTIも似たような状態です。
コーチング・バイブルは良書ではありますが、やっぱり技法の出所を隠している。

では、全てのコーチングに共通な技法「傾聴・承認・質問」はどこから来たのか?

それは米国で生まれたブリーフセラピーと総称される心理療法です。

極論するならば、ブリーフセラピーを健常者向けにアレンジしたものが「自己実現型コーチング」です。
更に強調するならば「自己実現型コーチングは心理療法以外の技法を有しない」とも言えます。

しかし実はこれこそが「コーチング」というネーミングに匹敵するほど斬新な発明なのでした。

言い方は色々ありますが、基本は「傾聴・承認・質問」です。
これはどこの養成機関でも言っている。
しかしそれぞれを詳細に検証すれば、何一つコーチングに特有な技法は存在しないことが分かります。

「傾聴」はロジャースが開発した「来談者中心療法」の中心的技法です。
ロジャースは「クライアントとの信頼関係と共感的理解、そして傾聴こそがクライアントの自発性解決を促す」と語っています。
来談者中心療法はブリーフセラピーではありませんが、「傾聴」技法は現在、ほとんどのカウンセリング・心理療法が取り入れています。

「承認」と「質問」は、ミルトン・エリクソンを源流とする家族療法、MRI、ソリューションフォーカスト・アプローチなど(この流派は派生したものが実に多様なので最低限の例にとどめました)
「承認」はまた交流分析(ブリーフセラピーではありませんが)のストロークと極めて類似する部分があります。

その他、論理療法・認知行動療法などもずいぶん翻案されている。
またCTIの「グレムリン」は交流分析で言えば禁止令、ソリューションフォーカスト・アプローチでは外在化。
実際のところソリューションフォーカスト・アプローチそのものが「解決志向」「未来志向」を一番の特徴としているのですから、コーチングの「今を支える」という考え方とまったく同じです。

他も同じです。
「答えは自分の中にある」
「解決リソースは全てクライアントの中にある」
「過去と他人は変えられない」
これらも全てカウンセリング・心理療法の思想。
カウンセリングはコンサルテーションをしないといわれますが、認知行動療法ではコンサルティング、行動管理がとても重要な役割を果たします。
そして肝心の「ゴール」「課題」すらもブリーフセラピーの重要な技法です。

コーチングモデルとして有名なものに「GROWモデル」がありますが、これを使うくらいならいっそ認知行動療法のいくつかの治療シートをそのまま流用した方がより効果的なコーチングが可能です。
(※GROWモデルとは、Goal(目標の明確化)、Reality(現状の把握)、Resource(資源の発見)、Options(選択肢の創造)、Will(目標達成の意志)の頭文字を取ったもの)

しかしこれらの真実は隠されました。
隠すためにダイレクトに同じ用語を使わず翻案された技法もあります。
しかしこれが問題となるのです。

「承認」はコーチングではアクノレッジメント(acknowlegdement)と言います。
承認・感謝という意味です。
ではソリューションフォーカスト・アプローチでは何と呼ばれているか?
それはコンプリメント(Compliment)です。
同じく誉めるという意味がありますが、語源としては「com-共に+plre満たす+-MENT=意を満たすようにすること」、つまり「補完」です。
サプリメント(supplement)と近い言葉であって、補うという意味合いがある。
つまりコンプリメント(賞賛)は誉めると同時に、クライアントの行動や変化を追認して補完するという意味がある。
誉めることが「補完」となり得る。
補完されることでクライアントは自己に肯定感を持ち、自由な発想をすることを自分に許可します。
自由な発想がやがて、類似した過去の経験の中からヒントとなって言語化される。
この過程が「解決像はクライアントの中にある」という言葉の真意なのです。
そして、こういう理論に基づいて「誉める」のが心理療法。

これがコーチングに取り入れられたとき、心理療法の影響を払拭したいから出来るだけ翻案をした。
しかも表面的な意味だけを取り上げてアクノレッジメントに変えた。
この結果、コンプリメントに込められていた「意味」は失われてしまいました。
だからコーチングでは、どういう理由で誉めるかというと単なる「勇気づけ」や「動機付け」になってしまう。
養成講座では「ブタもおだてりゃ木に登る」などと説明したりする。
(ただしブリーフセラピーの中でも、あまりコンプリメントを用いないカウンセラーも存在します。しかしそれはコンプリメント以外の技法に長けているカウンセラーの場合に可能なケースであるというのが私見です)
posted by Shigeo at 23:43| 【4】コーチングの理論基盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月09日

(15)誰も見たことのない「コーチング理論」

コーチングは明らかに心理療法から相当数ノウハウを取り入れて成長してきました。
しかしこの事実は日本ではほとんど知られておらず、またほとんど(まったく?)議論されていません。
が、米国では心理療法との関係性について論議されたことがあるという文献を見出しました。

以前紹介した平野圭子氏のコラムに、次の一節がみとめられます。

「米国で常に議論の的であった『コーチ対セラピスト』」

米国では「常に論議の的」であったと氏は述べているのです。

この温度差は当然なのかもしれませんが、そもそも日本では、未だ気軽にカウンセリングを受けるという文化が育っていません(育つ必要があるのかどうかは不明ですが)。
米国ではカウンセリングが発達していましたから、カウンセラーの仕事をコーチが取ったという論争があるのかもしれません。
何故なら平野氏は続けてこう述べているからです。

「職業としてのコーチから、企業組織内におけるマネジメントスキルとしての『コーチングの知識』が求められる」ように変化したので、「コーチ対セラピスト」という論議は沈静化した。

「 」以外はわたしが付け足しています。

言い換えると、コーチングの知識がマネジメントスキルに収斂されていった過程で、セラピー(心理療法)との棲み分けができるようになったということなのか?

これはカウンセリング・マインドに倣って「コーチング・マインド」と呼ばれている考え方です。
つまり、養成機関でコーチの認定を受けるまでではないが、数回の研修をマネジャーが受講して、コーチングの基本的知識と概念を学んで現場で実践してもらう・・・というものです。
これはまさしく「メンタルヘルス対策」です、カウンセリングで言うところの。

ちなみにNLP陣営は「コーチングはNLP理論に基づいており、全てのコーチングはNLPコーチングにすぎない」と言います。
実はNLPもソリューション・フォーカスト・アプローチの源流であるミルトン・エリクソンの理論や技法、家族療法を積極的に取り入れていますから、その主張はオーバーではありますが間違っているとは言い切れません。

さて、話を戻しますが、平野氏のコラムの記述と類似した文献は他にも存在します。
「エグゼクティブ・コーチングが失敗する時(筆者:スティーブン・バーグラス 出典「コーチングがリーダーを育てる(DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部編 ダイヤモンド社(2006))

この論文の中に以下のような記述がみとめられます。

「〜エグゼクティブ・コーチングは「インスタント心理療法」として登場〜」

「ビジネス・グールーのウェーレン・ベニスは「エグゼクティブ・コーチングは、心理療法の一種である。ただし心理療法と比べて世間体がよい」と言っている。」

日本でタブー視されてきたこの関係性が(著名な論文集に)堂々と記述されています。

この論文集は(研究資料として)とても含蓄に富んでいて、後日詳しく言及する予定です。

さてこのようにパーソナル・コーチングはそのほとんどの技法・理論をカウンセリング・心理療法に依存しており、コーチング独自の理論は存在しないと考えられるのです。
しかしこれは問題ではないのでしょうか?

実はこの問題に関しても、再び平野圭子氏のコラムからヒントを求めましょう。
http://www.coach.or.jp/news/backnumber/20060920.html

「この10年間、「コーチとは何か」「コーチングとは何か」について多く語られてきました。【しかし】日本では、どちらかというと「コーチング」のノウハウやスキルに多くの焦点が当てられてきたように思います。

 現在アメリカの大学では、コーチングを「行動学」などに関連づけて学術的に研究し始めています。そして、今まで学術とは関係のなかった数多くの現役コーチたちが大学の成人学習プログラムの授業で教鞭をとっています。

 ニューヨーク在住で、現在国際コーチ連盟の副委員長を務めるプライヤー氏はこう語りました。
「大学で教えるとインテリ層の激しい議論に応対する必要があるのでとても勉強になる」と。」

【しかし】は、筆者が追加しました。

つまり米国では「コーチ論についての論議があったが、日本ではなかった」ということになります。
日本コーチ協会の理事がそれを認めている。

では日本では、どの程度の議論や研究がされているのでしょう。
わたしはここで、驚くべき真実をみなさんに紹介します。

日本語の学術論文に関しては、以下のサイトで検索することが可能です。
「国立情報学研究所 GeNii 学術コンテンツ・ポータル」
http://ge.nii.ac.jp/genii/jsp/index.jsp

ここで「コーチング 理論」をキーワードに検索を行いました。
結果は、ヒット数0です。
厳密に言えば「コーチング理論に基づいた○○」という文献は存在します。
が、その基盤となる「コーチング理論」そのものに踏み込んだ文献は存在しない。
つまりここでも「コーチング理論は既にある」ことが前提とされている。

この典型的な例が、前掲した「難病患者を支えるコーチングサポートの実際」です。
この書籍の、本文の「コーチ」や「コーチング」を全て「プリーフセラピスト」「ソリューション・フォーカスト・アプローチ」に置換したとしても、まったく内容的に不都合は生じません。
それどころか、わたしには、本来「カウンセラー」「ソリューション・フォーカスト・アプローチ」とすべき単語を「コーチ」「コーチング」としただけと受け取れてなりません。

また最近では、コーチングは教育の現場にも有効だと言われておりますが、すでに教育現場ではソリューション・フォーカスト・アプローチが取り入れられています。

「ソリューションバンク.net」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~solutionbank/index.html

ここに寄せられている事例データベースを目の当たりにして、今更「教育にもコーチングが有効」とは、何を根拠に述べるのか、その優位性や独自性をぜひ明らかにしていただきたいものです。

以上が「コーチング理論は存在しない」という根拠です。
もろちん技法やツールであれば、コーチングに固有なものも存在するでしょう。
しかし理論と技法と別物です。
戦略と戦術の違いと同じです。

また上記は、パーソナル・コーチングに関する検証であってビジネス・コーチングに当てはまらないと言うご指摘があるかもしれません。
では、ビジネス・コーチングやエグゼクティブ・コーチングと、コンサルティング、マネージングとの違いは何なのでしょうか?
posted by Shigeo at 23:29| 【4】コーチングの理論基盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月19日

(16)学術的ということ

前回の検証の補足です。

再び平野圭子氏のコラムから同箇所を引用します。
http://www.coach.or.jp/news/backnumber/20060920.html

「 現在アメリカの大学では、コーチングを「行動学」などに関連づけて学術的に研究し始めています。そして、今まで学術とは関係のなかった数多くの現役コーチたちが大学の成人学習プログラムの授業で教鞭をとっています。」

既にわたしが明らかにしたように「コーチングは心理療法もしくはコンサルティング、マネージングの翻案」です。
しかしながら、この事実を認めてしまっては、コーチングはコーチングとして存在意義を見いだせません。
ここでの「行動学」が具体的に何であるか判断できませんが、いずれにしろ新たなる理論基盤を模索していることがうかがい知れます。

また平野氏に他意はないのでしょうが、この記述を額面通り受け取るわけにはいきません。
平野氏は「数多くの現役コーチたちが大学の成人学習プログラムの授業で教鞭をとって」いると述べます。この文章からは「コーチングが学術的に認められつつある」という印象が持たれます。
しかしそもそも「成人学習プログラム」とは何でしょう?
それは、正規の学生の単位となる授業ではないということです。
日本で言うところの「社会人向け講座」でしょうか?
であるならば「今まで学術とは関係のなかった」現役コーチたちという装飾語はまったく意味を成しません。
これがもし「今まで学術とは関係のなかった数多くの現役コーチたちが大学の【正規授業で理論についての】教鞭を」とり・・・であったならまったく話は違います。

例えば日本でも、栃木の宇都宮大学で以下のような取り組みが開始されます。
「宇都宮大学 工学研究科特別講義「共創コーチング特論」」
http://www.utsunomiya-u.ac.jp/event/2008/11/cc-coaching.html

しかしこれもまた「コーチング理論」が存在することが大前提であり、講義の目的は「コーチング理論の学習や研究」ではなく、あくまでも「コーチング・スキルの習得」です。
これは「社会人として有益なスキルとしてコーチングがたまたま選ばれた」だけではないでしょうか?
つまり「ソーシャルスキル・トレーニング」の一環に過ぎません。
それなのにコーチが大学で教鞭に立つと、それだけでコーチングが学問として認められたという驚くべき論理的飛躍につながるのです。
コーチング・スキルを学生のために取り入れている大学は他にもあるでしょう。
しかし「コーチングを学術的に研究している大学」は日本に存在するのでしょうか?

コーチングも対人援助手法の一つです。
大きくくくれば「コミュニケーション論」の一部かもしれません。
しかしどの分野であっても「学術的な研究」がなされるというのなら、有用性に関するサンプリングと統計的分析、そしてデータの開示が不可欠です。
それらが開示されて初めて「学術的研究」がなされたと言います。
カウンセリング・心理療法の各流派も、各種テストも、全て同じ過程を経て、批判や反論に晒されて現在広く利用されています。

これらの学術的研究がなされないで、何故に(心理療法との関係性を否定もしくは無視する)コーチングが「対人援助」に有効と断言できるのでしょう?
posted by Shigeo at 18:11| 【4】コーチングの理論基盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月30日

(17)気づかないアキレス腱

これまで繰り返しコーチングの理論・技法のほとんどは、ブリーフセラピーと総称される心理療法からの流用であったと述べてきました。
この事実を認め「コーチングは対人援助サービスである」と捉えれるならば、コーチングには間違いなく有用性があるとわたしは考えます。
実際問題として、そう考えているからこそわたしはコーチングを提供しているわけです。

さて、しかしながらこのサービスには致命的な欠陥があります。
「心理療法を健勝者向けにアレンジしたアイデア」は素晴らしいのです。
が、コーチングの「ビジネスモデル」に問題がある。

コーチングの理論基盤を検証するシリーズの最後は、コーチングのビジネスモデルについての検証です。

プロのコーチの方が書かれた本には以下のような記述が散見されます。

「コーチ自身がコーチをつけ〜」
「コーチを受けてみないと本当のコーチングが理解できたとは言えない」
「プロのコーチたる者、コーチをつけるのが当然」
さらには、
「コーチを選ぶ場合、そのコーチがコーチングを受けているかどうかを選択の基準とすべし」

「なるほど!」
と頷いてはいけません。

一見しごくもっともと感じられる主張ですが、残念ながら(コーチがコーチを雇う)重要性の根拠となる理屈や原理に関して、明解な解答を見出すことができません。

結論を述べるなら、コーチがコーチを雇う必然性はないのではないか?
何故ならば、プロフェッショナル・コーチはすでに「自立」出来ているからです。
自分のことは自分で解決できるのがプロフェッショナルなコーチです。
コーチを付けるのは、未だ自立できていないクライアントであるはず。

つまり、これがレナード氏が発明した最強のビジネスモデルであり、同時に最大のアキレス腱なのです。
それは何故か?

「プロフェッショナルなコーチと言えどもコーチを雇うのが常識です。たとえばわたしの場合、コーチはアメリカ人で30分500ドル。でもね、これ、コーチとしては当たり前のことなんですよ。だってコーチを雇っていた方がハイパフォーマンスを維持できるから」
「なるほど〜! ではわたしの支払ってるコーチ料なんか安いものなんですね」

上記は少しディフォルメした例です。
とにかくコーチングを考え出したのが金儲けの達人レナード氏です。
ファィナンシャルプランナーとして「継続して」顧客の財産を運用するというビジネスモデルのうま味は充分に知り尽くしていたのです。
その彼がコーチングを思いついて、この「継続的報酬システム」を捨てるはずがない。
当然コーチングにも「継続的報酬システム」を導入したいと思う。
しごく当然な発想あり、起業家であれが誰もが憧れる形態です。

ところが・・・この「ビジネスモデル」こそがアキレス腱なのです、ことコーチングにとっては。
それこそ、いつ切れても不思議でない・・・

と言うことで何がアキレス腱なのか?

つまり流用した理論技法は、そのほとんどが「ブリーフセラピー」であったことに起因します。
ブリーフセラピーは別名「短期」療法です。
この矛盾に気づかれましたか?

心理療法家たちは、時には何年もかかる従来の心理療法に疑問を感じ、もっと短期に有効な効果を得られる心理療法を、と言うことで様々な短期療法を開発しました。
同時に生産性向上を目的に、労働者へのカウンセリングを始めていた米国産業界では、従来の長期に渡るカウンセリングではなく、短期に効果の現れるカウンセリング理論・技法を望んでおり、両者が手を組むことによりブリーフセラピーは急激に発展、普及することができたという背景があります。

このようにコーチングの「承認」も「質問」も「リソース」も、全て「短期」に終結されることを目的としています。
その「短期」を目指した技法を用いて「長期」にセッションを続ける・・・・。
例えるならば、短距離走の指導方法でマラソン競技の指導をする。

これは論理的に破綻していないだろうか?

もう一つ「形容矛盾」「論理的破綻」の根拠を述べましょう。

前掲した「コーチング・バイブル」や「コーチング5つの原則」などには共通するある記述があります。
それは「コーチングの目的」に関する部分です。

「コーチングの目的は、クライアントを長期的にサポートすること」
「コーチングの目的は、クライアントが自分で解決できるようになること」

すでにこの記述が矛盾しています。

「長期」とは具体的にどれくらいなのだろうか?という点も明解ではなく気になるところですが、何よりも冒頭に述べた「プロフェッショナルなコーチもコーチを雇っている」という主張と合わせて解釈すると、実に不可思議な結果が明らかになります。

「コーチングの目的は、クライアント(プロフェッショナル・コーチ)を長期的にサポートすること」
「コーチングの目的は、クライアント(プロフェッショナル・コーチ)が自分で解決できるようになること」

つまりこの解釈では「プロフェッショナル・コーチとは、長期に渡って自分の問題を解決できない者」と述べていることになってしまうのです。

どうしてこのような矛盾が生じるのか?
と同時に、どうして今までこれほど重大なアキレス腱の存在が放置されてきたのか?

放置され続けてきた理由は判然としませんが、矛盾が生じた原因については明白です。

「コーチがコーチを雇う」
「長期にわたってコーチングを継続する」
これらのビジネスモデルは、カウンセラー・心理療法家に義務づけられている「スーパービジョン」「教育分析」を翻案したものです。

「スーパービジョン」とは、自身の所属する組織、流派において「認定された指導員(スーパーバイザー)」が、カウンセラーが提供した事例に基づいて示唆や助言を与えながら行う教育です。
「教育分析」とは教育カウンセリングとも呼ばれ、カウンセラー・心理療法家本人がカウンセリングを受けることで、目的はクライアント体験により自分を客観視するトレーニング的側面と、業務上のストレスや倫理的問題への現実的対処という側面を併せ持ちます。
しかしここで重要なのは、いずれも「研究活動」「自己研鑽」が目的であること。
くわえて継続し続けることは求められておらず、組織、流派によって年1回とか何時間とか規定されているにすぎません。
つまり日常の業務や生活のサポートが目的ではない。

そしてこの矛盾がまた、危険なアキレス腱であるのです。

「指導」とは、自分より経験知識が長け、思想や理論が明確である上位者から受けるものです。
多くは論文、著作、セミナー、教育分析などから判断し、指導を仰ぐという流れになります。
ところが多くのコーチは「まったく研究活動をしていない」という現実に突き当たります。

ではコーチ達は何を基準に自分のコーチを選択しているのか?
と考えるととても不思議に感じませんか?
posted by Shigeo at 18:34| 【4】コーチングの理論基盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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