2008年08月30日

(1) コーチングとの出会い

コーチングはとても画期的で有用な対人援助技法です。
くわえて「導入効果が測定しやすい」
また偶然なのか時代的な要請だったのか、同時期に開発された経営戦略手法「バランス・スコアカード」との親和性が高く、バランス・スコアカードと同時にコーチングを導入すると、さらに導入効果が向上すると言われています。
それ故に企業への導入が促進され、大手企業で一度もコーチングに触れていない企業は存在しないのではないか?
などと言われたりもします。

日本でコーチングが一気に広まったきっかけとして、日産自動車のゴーン社長の存在があげられます。
ゴーン氏は、経営危機に陥った日産自動車に乗り込み、様々な革新的な施策を断行し、日産自動車のV字改革を成し遂げました。
実は、彼が矢継ぎ早に実施した改革の中の一つにコーチングがありました。
日産自動車では全管理職にコーチング研修を行い、現場での実践を義務づけたそうです。
それまでは、用事があると部下をデスクに呼びつけ、背もたれに寄りかかったままで話を聞いていた管理職たちが、コーチング研修を受けた後、自ら部下のデスクに赴き、腰を落として部下と同じ目の高さでにこやかに話しかける・・・
そんな情景が、テレビなどのメディアで幾度も取り上げられ、これによってコーチングが広く日本に知られることとなったのです。

しかしこれはある意味、衝撃的な出来事でした。
日本にはホワイト・カラーの現場にも「技術は教わるのではなく盗め」という慣習が根強く残っていて、たとえば営業職にあっては、バブル崩壊後様々な価値観が崩壊したにも関わらず「根性」「足で稼げ」「体育会系」などが依然としてキーワードとして通用していたのです(現在でも見受けられることは少なくないのですが)。
当然、上司には強く厳しい態度や気持ちが求められます。
成果主義が取り入れられてからは尚更でした。
ところがメディアで取り上げられた日本を代表する企業の変革の様子が、ホワイト・カラーの「理想の管理監督者像」を一変させてしまったのです。

また、ビジネス・コーチングがそれほど抵抗なしに受け容れられた背景として、何よりも部下に受けがよかったからだと考えられます。
それは考えてみれば当然。
なにしろ高圧的で否定的で独善的だった上司が、人格が180度変わったように、友好的で肯定的で協調的になったわけですから。

たぶん、この出来事をきっかけとして、世代間のコミュニケーションギャップに腐心していた多くの企業で、コーチングの導入が加速化されたのです。
ビジネス・コーチングは、ゴーン氏が日本に広め、根付かせたと言っても過言ではないでしょう。

もちろん日産自動車に導入されるまで、日本にコーチングがなかったわけではありません。
なかったどころか、コーチングを日本で初めて紹介し、いち早く提供を始めていた組織があったからこそ、日産自動車は容易にコーチング研修を導入できたのです。

いつも感心させられるのは、どんな分野にも先見性を持った人物が存在するということ。
日本のコーチングも、まさに天才的な先見性を持ち合わせていたある人物によって普及したのでした。
(いずれ、この方についても言及します)

ところで、わたしコーチングと出会ったのもこの動きのさなかでした。
最初に手に取った書籍は、スポーツ・トレーナーによる(ビジネスでも活用できる)コーチングの入門書でした。
が、実はこのとき、わたしはコーチングに何の意味も価値も見いだせなかったのです。
それは単なる「チーム・マネジメント」を語っているように感じられました。
なんだか損をした気分と、自分の理解力が足らないのかという負い目と、その両方を感じたことを今も覚えています。
まとめると「釈然としない」感じでした。

実は、これが現在も続く「コーチングの最大の誤解」なのですが、この時はそんなことを知るよしもなく、わたしは「コーチングはつまらない」と結論付けてしまったのです。

さて、再度コーチングと出会ったのは、わたしがカウンセリングを始めてからのことです。
様々なカウンセリング理論を学ぶ過程で、コーチという肩書きを持つ人たちと出会いました。
しかし彼等が語るコーチングは、かつてわたしが手に取った書籍の内容とはまったく異なりました。
異なりましたが、その時は(その理由を)深く考えず、勧められるままに推薦図書を読み、そしてようやく合点がいったのです。

以来わたしは、カウンセリングを行いながら、コーチングを学び始め、今に至ります。

このようにして日本に根付いたコーチングですが、それではいったいコーチングとは、いつ誰が考え出した理論(もしくは技法)なのでしょう。
ふつう・・・・新参者はこういうことが気になります。
少なくともわたしは知りたいと思いました。
そして大抵は書籍の奥付に年表や参考文献があって、それを切っ掛けに源流をたどっていけば事足りるのです。
ところがわたしは、ここで思わぬ苦戦を強いられました。
結論から述べれば「わからない」のです。
途切れ途切れに散在するエピソードが、不思議なことにつながらない。

これが最初の違和感。
最初の疑念でした。
それではまず、コーチングの歴史について検証していきましょう。

2008年09月06日

(2)コーチングの歴史を検証する

日本における代表的なコーチング養成機関といえば「コーチ・トゥエンティワン(以後コーチ21と表記)」です。日本コーチ協会の設立を援助し、今も理事の中にはコーチ21関係者がいらっしゃいます。
そのコーチ21関係者の書籍やWebサイトでは、今の形のコーチングが始まった年代を以下のように記しています。これが今や既成事実となり、多くのコーチ、コーチ養成機関が当たり前のように引用を続けているものです。

「1992年にCoach Universityが設立されたのをきっかけに、いくつも同様の機関が誕生した」
つまり、Coach Universityが先駆者であることを示唆しています。

ところが米国には、もう一つの大手コーチ養成機関が存在します。
「CTI」です。
このCTI監修の書籍にはこう記してあります。

「CTIは1992年にローラ・ウィットワークとヘンリー・キムジーハウスによって設立され」
(引用「コーチング・バイブル」2002 東洋経済新報社)

わたしは「コーチング・バイブル」でこの記述を見たとき、心底驚きました。
Coach Universityだけではなく、同じ年にまったく同じ概念の養成機関がもう一つ誕生している。
Coach University(もしくはコーチ21)は、何を根拠に自身の「設立が普及のきっかけ」と宣言できたのでしょう?
創立年月日でしょうか?(ただし月日の記載はありません)
しかし後世(と言うほど昔の話ではないのですが)のわたしたちにとっては、創立日がどちらが早いかという問題よりも「どうしてまったく新しい理論(技法)が同じ年に同時に誕生したのか?」ということの方が気になります。

例えばカウンセリング・セラピーにおいては、成立後の離合集散はあるにしても、創設者は誰で、そこから独立した流派にはどんなものがあるか?など、きわめてオープンです。
そして誰もが容易に歴史をたどれます。

ところがコーチングは、どうでもいいような「coach」と言う単語の語源には必ず言及する(語源は「馬車」なのだそうです)のに、肝心なこの「1992年」前後について、これ以上語ろうとしません。

実はこれは一例です。
コーチングについては、他にも多くの点から「理屈に合わない」説明が多いのです。
わたしはそれらを「意図的に隠された」と感じました。
意図的に隠さざるを得ない(隠したい)背景があると。
したがって本コーチ論は、コーチング理論に言及する前に、どうしてもコーチング成立の背景を検証する必要があるのです。

コーチの語源はどうやら「馬車」らしいという話を簡単に述べました。
このコーチングと呼ばれるコミュニケーション手法をコーチングと命ずるために、必ずと言っていいほど「コーチングには、目的地に馬車で快適に乗客を送り届ける意味がある」と説明がつけられます。
こう言われると確かにしっくりきます。
納得感が高まるのです。
しかし、その説明が異様にしっくりくるが故に、この説明がコーチング哲学となって、他の可能性や理論化を阻んでいるとも言えるのです。

さて、「コーチ・コーチングという技法はスポーツのコーチ・コーチングに由来する」
これは誤り、もしくは意図的な曲解であり、正確には、あるコミュニケーション手法をコーチングと名付けただけだというのがわたしの仮説でした。
では何故そう考えるのか?

以下は、日本語文献やWebサイトでよく見かける「コーチングの歴史」です。

【1500年代】コーチという言葉が登場。元々は「馬車」という意味。
【1840年代】オックスフォード大学で、学生の指導をする個人教師のことをコーチと呼ぶようになる。
【1880年代】ボート競技の指導者をコーチと呼ぶようになる。
【1959年】当時、ハーバード大学助教授だったマイルズ・メイスが"The Growth and Development of Executives"という本(論文?)の中で「マネジメントの中心は人間であり、人間中心のマネジメントの中でコーチングは重要なスキルである」と記する。
【1985年】トム・ピーターズのコーチングに関する書籍 "A Passion for Excellence"が発刊される。
【1989年】デニス・キンロのコーチングに関する書籍" Coaching for Committment"が発刊される。
【1987年】アメリカを代表するスポーツコーチ達とコーチング研究者が一堂に会するマネジメント・セミナーが開催され、コーチングのテクノロジーについて語る。
【1992年】アメリカでコーチの養成機関の設立が相次ぐ。
【1992年11月】コーチという職業の倫理を明確にし、その質の維持を目的に、非営利団体国際コーチ連盟(International Coach Federation、通称ICF)が設立される。

馬車を意味するコーチという言葉がスポーツを経てビジネスの世界でも使われるようになったと流れが、とてもよくわかる年表です。
しかし、もう一度よく注意してこの年表を見てみましょう。
1959年に「マネジメントの中でコーチングは重要なスキルである」と書いたマイルズ・メイズについて、この事実以外に引用されたり指摘されている文献が見あたりません。
彼のこの言葉を引用する書籍はあっても、この言葉以外の箇所を引用した書籍がないのです。

つまり「年表の中でのみ存在する人物、論文」と言えます。

しかしこれは実はトム・ピーターズやデニス・キンローにおいても同じです。

一般的に年表は、「重要な」人物・文献が記載されます。
年表とはそういうものであるはずです。
従って、この年表に記載された人物・文献は、コーチング業界にあって、詳しく取り上げられたり分析される対象であるはず。
しかしそうではない現実がある。
であれば、彼等の存在は「年表を埋めるためだけ」に利用されているのではないかと考えられるのです。

次ぎに、大きなイベントであったかに感じられる1987年に開催されたマネジメント・セミナー。
この会議では、いったいどんな「コーチング論」が話し合われたのでしょうか?
しかし、このセミナーの中身に関して語られることは、やはりありません。
また、子細に点検すれば「コーチング研究者」とは、いったい何者なのかということが気になります。
さらに「何故、『コーチング・セミナー』でなかったのか?」ということも。

憶測するに「スポーツコーチ」とは監督・指導者。
「コーチング研究者」はチーム理論・スポーツ理論の研究者。
そして話し合われたテーマは「チーム・マネジメント」だったのではないか?
こう憶測するには理由があります。

この1987年の「スポーツコーチ達によるマネジメント・セミナー」の約5年後、一気に「ビジネスコーチ養成機関」の設立が相次ぎます。
わたしはこの急展開が不思議でなりません。
というのも「どうしてこの5年間にコーチングに関する文献が存在しないのだろう?」

たとえばこの5年の間に「スポーツコーチとビジネスコンサルタントが、マネジメントについて対話をする」や「スポーツコーチングのビジネスへの応用について」などと題された書籍や論文が相次いで刊行される・・・などという流れがあっていいはずです。
なぜなら1987年当時すでに「コーチング研究者」が存在したのだから。
そういう流れがあって初めてコミュニケーション技法としてのコーチングとスポーツのコーチが結びつくのではないでしょうか?

いや、実際あったのかもしれない。その事までを否定したいわけではありません。
しかしながら、中身について一切引用も解説もされないマイルズ・メイルの様な方々についてはわざわざ年表に書き記し、何故1987年から1992年の間に存在したかも知れない研究やら書籍への言及が皆無なのだろう?
これはあまりに不可思議で理屈に合いません。

この検証からわたしが導き出した結論はこうです。
「コーチング」は、スポーツとはまったく関係のない分野、業界から発想されたものあり、
「コーチング」と名付けたが故に、スポーツと関係のある歴史を「後から」創作したのだと。

2008年09月13日

(3)作られた歴史

前回わたしは、「コーチング」はスポーツとはまったく関係のない分野、業界から発想されたものあり、「コーチング」と名付けたが故に、スポーツと関係のある歴史を「後から」創作したのだと述べました。

その根拠は、穴だらけの年表にあります。
日本の古代史を再構築しているわけではありません。
たった20年ほど前の出来事を整理しているだけです。
それなのにこの驚くほど少ない情報量は何を意味するのでしょう?
わたしはこれこそが「作られた歴史」の動かしがたい証拠であると考えます。

さて、こんな架空の物語を思い浮かべてください。
これはあくまでわたしの想像です。
それは、現在のコーチング技法をビジネスに持ち込んだ人物がいたとして・・・の架空の会話です。

「これ、使えるよね」
「うん、使える。きっと流行る。○○に取って代われると思う」
「では何と名付けよう」
「『双方向的コミュニケーション・スキル』ってのは?」
「・・・なんか流行らなそうだなあ(苦笑) 」
「『能動的自己実現会話術』とか?」
「それ、怪しい自己啓発セミナーみたいだよ」
「う〜ん、困ったなあ。自己啓発セミナー屋には、嗅ぎつかれないようにしないと大変だ」
「ね、あれがいいんじゃない?最近、会議があったじゃん、有名なスポーツのコーチが集まってさ」
「あ〜あったね〜」
「だからそれだよ。『コーチ』」
「コーチ?」
「そう、提供する僕らがコーチで、行うのがコーチングなんだ。なんか、選手に寄り添いながらコールを目指すって、イメージよくない? 」
「いい、いい! 」
「『コーチはクライアントに寄り添い、クライアントが本来持っている能力や才能を開花させるお手伝いをします』いいじゃん!」
「おー、マラソンの伴走のようなイメージだね」
「でしょー? 」
「よし、これにするか!あ、でも・・・ 」
「どうしたの? 」
「『コーチ』では、パテント取れないぞ。あまりに一般的すぎる」
「それは仕方ないなあ。確かにパテント収入が無いのは残念だけど、知られている言葉を活用することで、逆に怪しいイメージは持たれないだろ。それと、僕たちがやろうとしていることはいわば『コーチ』と言う言葉のパラダイム・シフト、ブレーク・スルーなのだから、インパクトはかなりあると思うよ。逆に、スポーツのコーチングが源流だと思わせておけば、実は○○を参考にしたとか、△△が基本です、なんて言わなくても済むじゃん。これ、かなり大きいと思うよ」
「そうだね。○○や△△のことは内緒にしておかないとね・・・」
(以上、全て創作であり、現実の人物、団体とは関係ありません)


この架空の物語を、どう読まれましたか?
わたしはこう考えます。
コーチングとは「クライアント(依頼者)の自己実現をサポートするコミュニケーション話法」です。
これは誰もが否定しない。
しかしスポーツとはまったくの無関係な成り立ち、理論を有している。

つまり「スポーツから派生した」という歴史は、スポーツとの近似性を狙った戦略なのです。
コーチングと名付けることで社会への浸透性を計った戦略、そういう戦略としてのネーミングが「コーチ」「コーチング」なのだと考えます。


すでに存在した「コーチ」という単語を利用することを思いついて、それから隙間を埋めるために「コーチ」の語源や歴史を調べたのではないか?
そう考えた方が辻褄が合うほど、上記の年表は内容が薄いのです。
わたしには、コーチとビジネスを結びつけた「古い」資料を見つけるために、必死に図書館通いをした「誰か」の姿が目に浮かびます。

そして、この空白の10年間は、スポーツコーチングではなく、まったく別の分野のある理論、技法が注目され始めた時期でもあります。
もしかして「そのこと」をどうしても隠したいのではないか?
「コーチング」がスポーツから発展したという歴史を作るために邪魔だから。

もしかすると、今となってはこの問題はどうでもいいことなのかもしれません。
もうすっかりコーチングは浸透したのだから。

しかしそれでもここをはっきりさせる必要があるとわたしは考えます。
何故か?
スポーツがその源泉であると公言している限り、コーチングの本質が見えてこないからです。
それともう一つ、スポーツを源流にしようとするが故に、コーチング理論が構築できないという矛盾です。

「コーチングの理論ならあるのではないか?」
とおっしゃる方もいらっしゃるかと存じます。
しかしどうもそれも疑わしい。
が、この件につきましては、歴史の検証が終わった後に展開します。

2008年09月22日

(4)イノベーション

さて前回わたしは「コーチング」という画期的なコミュニケーションスキルは戦略的に「コーチ」「コーチング」と命名されたのであって、スポーツのコーチとは一切関係ないとの推察を述べました。
これはとても混乱を招く命名です。
では、どうして「わざわざ」コーチ・コーチングと名付けたのでしょうか?

実は・・・そのヒントというか答えはすでにあるのです。
不思議なことにネットの深部に眠り続け、何故か今はおおっぴらに語られていないだけで。
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以下はコーチ21の代表取締役会長 伊藤守氏のブログからの引用です。
http://www.itoh.com/index.html

2004年12月01日
http://www.itoh.com/2004/12/post_2.html
「「コーチ」という名前はもちろん知っていました。しかし、ビジネスマンに「コーチ」。これを初めて目にしたとき、とても新鮮でした。おそらく、組織のマネジメントに「コーチ」、このネーミングこそがイノベーションであると思います。」

2004年12月02日
http://www.itoh.com/2004/12/2.html
「印象としては、それは、あまりインパクトのあるものではありませんでした。
コーチングは、コミュニケーションをベースとしたスキルです。コミュニケーションそのものに、特に目新しさがあるわけでもなく、コーチング・スキルにも、特に惹かれるものはありませんでした。コーチとしての考え方やあり方にも、特に大きな違いは感じませんでした。」

「最初の「コーチ」と言う名前を聞いたときのインパクト、それから、なぜ、今「コーチ」であり「コーチング」なのかということについて、考えている間に、いくつかのパラダイムシフトがありました。」
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驚くことに、日本でのコーチングの先駆者にして随一のコーチ養成機関の代表である伊藤氏が、コーチングの内容に「インパクトのあるものでは」なかった、「特に目新しさがあるわけでも」なく、「特に惹かれるものでは」なかったと述べているのです。

もちろんこれは今現在のコーチングではなく、氏が初めて接した時代のコーチングに対しての感想です。
ただとにかく初期のそれは、決して画期的ではなかったらしいのです。

・・・それにしても、にわかには信じがたい記述です。

しかしわたしが注目したいのはこの部分ではありません。氏が「コーチ」という言葉に対して抱いた印象こそが重要なのです。
氏は「コーチ」という言葉は「とても新鮮」で「このネーミングこそがイノベーション」だと感じました。更に「コーチ・コーチング」という言葉から「いくつかのパラダイムシフト」の可能性を感じ取ります。

いかがですか?
まさにこのコーチという「言葉の持つ可能性」こそが、このコミュニケーションスキルを「コーチング」と名付けた最大の理由だとは考えられませんか?

つまり、こういうことです。
今まではコーチとはスポーツの世界だけのものだった。
それをビジネスに置き換えただけで、自動的にパラダイムシフトが起動する。
例えば、

<今まで>
上司→部下

<これから>
コーチ(上司)=プロスポーツ選手(部下)

言葉を変えるだけで、組織の歯車に過ぎなかった社員(部下)が、自立した才能あふれる人材に変容してしまうのです。こんな劇的なパラダイムシフトがビジネス界にかつて存在したでしょうか?
指導する・・・からコーチングすると言い換えただけで、組織の人間関係をも大変革してしまうのですから、言葉を重ねて説明する必要がないのです。

伊藤氏は、とても鋭い感性と先見性を兼ね備えた方だと推察します。
「ビジネスにコーチ」という文節を見ただけで、その奥深い可能性にいち早く気づかれ、自身のビジネスプランに取り入れたのですから。

以上、今回は、コーチングはコーチングと名付けることにこそ最大の意味があったこと。
すなわち「ビジネスでコーチ」という文節それ自体が、画期的なイノベーションとパラダイムシフトであったということを明らかにしました。

つまり、結果的に名称独占はできませんでしたが、考えようによっては、これは歴史に残る大発明でもあったのです。

何故か?
当時は一般には適用できないと考えられていたある理論と技法が、ビジネスやコンサルティングに適用できることを証明してしまったからです。

次回からは、コーチングの思想的背景について検証します。
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