2009年01月05日

匿名さんへの返信

先月、匿名の方よりメールをいただきました。
記載されていたメールアドレスも架空のようだったので、この場で返事を書かせていただきます。
(いただいたメールを転載しますが、匿名性が高いので問題ないと判断させていただきました)

------------------------------------------------------
コーチングの発祥が”隠された”というご意見ですが、
こんな見方はできませんか?

”隠された”のではなく、単にビジネスとして、治療行為の
カウンセリングと差別化したかった、健常者に対する異なるサービス
としてビジネスマンに認知して欲しかった。カウンセリングやセラピー
というと、少々抵抗が生まれる。

手法は一緒だが、健康なビジネスマンが、よりパフォーマンスを高める
ために、ブリーフセラピーなどを受けるサービスに、別の名前をつけた。
それが、”コーチング”サービスだった、と。

私はそんな解釈をしています。
”隠す”というと、悪意がある感じがしますが、
単にセラピーとは別のものとして認知してほしくて、名前を選んだ
だけなのでは、ないかと。

コーチングは元となる理論がありませんが、それは
コーチングは理論でなく、単に新しいサービスの形態ではないかと。
------------------------------------------------------

いただいたご意見、とてもごもっともだと思います。
また「コーチング」は理論ではなく「サービス」の一形態であるというご指摘、まったく同意します。
というか、結論を見抜かれてしまいましたね(苦笑)

ご推察のとおり「隠す」「隠された」という形容はわたしの主観が相当、込められていますし、本当に「この事実は隠しちゃえ!」という会話が創始者達の間で成されていたかどうかを知っているわけでもありません。

ではなぜそれでもわたしは「隠された」と書くのか?
それは・・・今に至っても「その事実」をオープンにしないからです。

現在でもコーチング関連書籍は新刊され続けていますが、未だに「カウンセリングは原因探求、コーチングは未来探求」と類似した記述を見かけます。
と同時に「『カウンセリングは原因追及』というのは誤りだった」という記述には出会っていません。

これらのことからわたしはコーチング界には「隠したい」意図があるのではないかと推察するのです。

例えば先日、mixiの「コーチング」コミュニティでこんなトピックが立ちました。
「コーチングとカウンセリング」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=38159434&comm_id=3361
以前と比べてカウンセリングとの類似点に気づかれている方も何人かいらっしゃって心強く感じたのですが、相変わらず「カウンセリングは原因追及」と偏った認識をお持ちの方もいらっしゃいます。

つまりいずれにしろ日本のコーチング界は未だに「事実を明らかにしていない」
そして「事実をオープンにしようと言う仕組みが存在しない(機能していない)」ことに関しては、同意していただけると思います。

ところで、最近になってようやくコーチング界に新しい波が押し寄せてきています。
具体的な団体名は書きませんが、ヨーロッパで誕生した「ソリューション・フォーカスト・コーチング」という流れです。
彼らは自身の理論基盤をブリーフセラピーに求め、その事実を明示し、カウンセリング(セラピー)という枠組みを大きく乗り越えてビジネス・コンサルティングに解決志向アプローチを取り入れています。
また一対一のセッションから、グループ・ダイナミズム、チーム・マネジメント、コンサルティングという一連の流れを連続的に体系的に網羅しています。

前回「現在、日本に広まっているコーチングの基盤はソリューションフォーカスト・アプローチである」とわたしは述べましたが、とするとこのヨーロッパから来た新しい流れのネーミングはとても奇異です。
言い方を変えると、新参者に「こっちこそが本家だ」と言われているようなものです。
となると・・・確かに今更「実はカウンセリングが元ネタで・・・」とは言いにくいのも頷けます。
もはや、隠匿し続けたいのではなく「言えなくなってしまった」

こんな推理はいかがですか?
posted by Shigeo at 17:39| 備考・雑記など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月09日

(15)誰も見たことのない「コーチング理論」

コーチングは明らかに心理療法から相当数ノウハウを取り入れて成長してきました。
しかしこの事実は日本ではほとんど知られておらず、またほとんど(まったく?)議論されていません。
が、米国では心理療法との関係性について論議されたことがあるという文献を見出しました。

以前紹介した平野圭子氏のコラムに、次の一節がみとめられます。

「米国で常に議論の的であった『コーチ対セラピスト』」

米国では「常に論議の的」であったと氏は述べているのです。

この温度差は当然なのかもしれませんが、そもそも日本では、未だ気軽にカウンセリングを受けるという文化が育っていません(育つ必要があるのかどうかは不明ですが)。
米国ではカウンセリングが発達していましたから、カウンセラーの仕事をコーチが取ったという論争があるのかもしれません。
何故なら平野氏は続けてこう述べているからです。

「職業としてのコーチから、企業組織内におけるマネジメントスキルとしての『コーチングの知識』が求められる」ように変化したので、「コーチ対セラピスト」という論議は沈静化した。

「 」以外はわたしが付け足しています。

言い換えると、コーチングの知識がマネジメントスキルに収斂されていった過程で、セラピー(心理療法)との棲み分けができるようになったということなのか?

これはカウンセリング・マインドに倣って「コーチング・マインド」と呼ばれている考え方です。
つまり、養成機関でコーチの認定を受けるまでではないが、数回の研修をマネジャーが受講して、コーチングの基本的知識と概念を学んで現場で実践してもらう・・・というものです。
これはまさしく「メンタルヘルス対策」です、カウンセリングで言うところの。

ちなみにNLP陣営は「コーチングはNLP理論に基づいており、全てのコーチングはNLPコーチングにすぎない」と言います。
実はNLPもソリューション・フォーカスト・アプローチの源流であるミルトン・エリクソンの理論や技法、家族療法を積極的に取り入れていますから、その主張はオーバーではありますが間違っているとは言い切れません。

さて、話を戻しますが、平野氏のコラムの記述と類似した文献は他にも存在します。
「エグゼクティブ・コーチングが失敗する時(筆者:スティーブン・バーグラス 出典「コーチングがリーダーを育てる(DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部編 ダイヤモンド社(2006))

この論文の中に以下のような記述がみとめられます。

「〜エグゼクティブ・コーチングは「インスタント心理療法」として登場〜」

「ビジネス・グールーのウェーレン・ベニスは「エグゼクティブ・コーチングは、心理療法の一種である。ただし心理療法と比べて世間体がよい」と言っている。」

日本でタブー視されてきたこの関係性が(著名な論文集に)堂々と記述されています。

この論文集は(研究資料として)とても含蓄に富んでいて、後日詳しく言及する予定です。

さてこのようにパーソナル・コーチングはそのほとんどの技法・理論をカウンセリング・心理療法に依存しており、コーチング独自の理論は存在しないと考えられるのです。
しかしこれは問題ではないのでしょうか?

実はこの問題に関しても、再び平野圭子氏のコラムからヒントを求めましょう。
http://www.coach.or.jp/news/backnumber/20060920.html

「この10年間、「コーチとは何か」「コーチングとは何か」について多く語られてきました。【しかし】日本では、どちらかというと「コーチング」のノウハウやスキルに多くの焦点が当てられてきたように思います。

 現在アメリカの大学では、コーチングを「行動学」などに関連づけて学術的に研究し始めています。そして、今まで学術とは関係のなかった数多くの現役コーチたちが大学の成人学習プログラムの授業で教鞭をとっています。

 ニューヨーク在住で、現在国際コーチ連盟の副委員長を務めるプライヤー氏はこう語りました。
「大学で教えるとインテリ層の激しい議論に応対する必要があるのでとても勉強になる」と。」

【しかし】は、筆者が追加しました。

つまり米国では「コーチ論についての論議があったが、日本ではなかった」ということになります。
日本コーチ協会の理事がそれを認めている。

では日本では、どの程度の議論や研究がされているのでしょう。
わたしはここで、驚くべき真実をみなさんに紹介します。

日本語の学術論文に関しては、以下のサイトで検索することが可能です。
「国立情報学研究所 GeNii 学術コンテンツ・ポータル」
http://ge.nii.ac.jp/genii/jsp/index.jsp

ここで「コーチング 理論」をキーワードに検索を行いました。
結果は、ヒット数0です。
厳密に言えば「コーチング理論に基づいた○○」という文献は存在します。
が、その基盤となる「コーチング理論」そのものに踏み込んだ文献は存在しない。
つまりここでも「コーチング理論は既にある」ことが前提とされている。

この典型的な例が、前掲した「難病患者を支えるコーチングサポートの実際」です。
この書籍の、本文の「コーチ」や「コーチング」を全て「プリーフセラピスト」「ソリューション・フォーカスト・アプローチ」に置換したとしても、まったく内容的に不都合は生じません。
それどころか、わたしには、本来「カウンセラー」「ソリューション・フォーカスト・アプローチ」とすべき単語を「コーチ」「コーチング」としただけと受け取れてなりません。

また最近では、コーチングは教育の現場にも有効だと言われておりますが、すでに教育現場ではソリューション・フォーカスト・アプローチが取り入れられています。

「ソリューションバンク.net」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~solutionbank/index.html

ここに寄せられている事例データベースを目の当たりにして、今更「教育にもコーチングが有効」とは、何を根拠に述べるのか、その優位性や独自性をぜひ明らかにしていただきたいものです。

以上が「コーチング理論は存在しない」という根拠です。
もろちん技法やツールであれば、コーチングに固有なものも存在するでしょう。
しかし理論と技法と別物です。
戦略と戦術の違いと同じです。

また上記は、パーソナル・コーチングに関する検証であってビジネス・コーチングに当てはまらないと言うご指摘があるかもしれません。
では、ビジネス・コーチングやエグゼクティブ・コーチングと、コンサルティング、マネージングとの違いは何なのでしょうか?
posted by Shigeo at 23:29| 【4】コーチングの理論基盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月19日

(16)学術的ということ

前回の検証の補足です。

再び平野圭子氏のコラムから同箇所を引用します。
http://www.coach.or.jp/news/backnumber/20060920.html

「 現在アメリカの大学では、コーチングを「行動学」などに関連づけて学術的に研究し始めています。そして、今まで学術とは関係のなかった数多くの現役コーチたちが大学の成人学習プログラムの授業で教鞭をとっています。」

既にわたしが明らかにしたように「コーチングは心理療法もしくはコンサルティング、マネージングの翻案」です。
しかしながら、この事実を認めてしまっては、コーチングはコーチングとして存在意義を見いだせません。
ここでの「行動学」が具体的に何であるか判断できませんが、いずれにしろ新たなる理論基盤を模索していることがうかがい知れます。

また平野氏に他意はないのでしょうが、この記述を額面通り受け取るわけにはいきません。
平野氏は「数多くの現役コーチたちが大学の成人学習プログラムの授業で教鞭をとって」いると述べます。この文章からは「コーチングが学術的に認められつつある」という印象が持たれます。
しかしそもそも「成人学習プログラム」とは何でしょう?
それは、正規の学生の単位となる授業ではないということです。
日本で言うところの「社会人向け講座」でしょうか?
であるならば「今まで学術とは関係のなかった」現役コーチたちという装飾語はまったく意味を成しません。
これがもし「今まで学術とは関係のなかった数多くの現役コーチたちが大学の【正規授業で理論についての】教鞭を」とり・・・であったならまったく話は違います。

例えば日本でも、栃木の宇都宮大学で以下のような取り組みが開始されます。
「宇都宮大学 工学研究科特別講義「共創コーチング特論」」
http://www.utsunomiya-u.ac.jp/event/2008/11/cc-coaching.html

しかしこれもまた「コーチング理論」が存在することが大前提であり、講義の目的は「コーチング理論の学習や研究」ではなく、あくまでも「コーチング・スキルの習得」です。
これは「社会人として有益なスキルとしてコーチングがたまたま選ばれた」だけではないでしょうか?
つまり「ソーシャルスキル・トレーニング」の一環に過ぎません。
それなのにコーチが大学で教鞭に立つと、それだけでコーチングが学問として認められたという驚くべき論理的飛躍につながるのです。
コーチング・スキルを学生のために取り入れている大学は他にもあるでしょう。
しかし「コーチングを学術的に研究している大学」は日本に存在するのでしょうか?

コーチングも対人援助手法の一つです。
大きくくくれば「コミュニケーション論」の一部かもしれません。
しかしどの分野であっても「学術的な研究」がなされるというのなら、有用性に関するサンプリングと統計的分析、そしてデータの開示が不可欠です。
それらが開示されて初めて「学術的研究」がなされたと言います。
カウンセリング・心理療法の各流派も、各種テストも、全て同じ過程を経て、批判や反論に晒されて現在広く利用されています。

これらの学術的研究がなされないで、何故に(心理療法との関係性を否定もしくは無視する)コーチングが「対人援助」に有効と断言できるのでしょう?
posted by Shigeo at 18:11| 【4】コーチングの理論基盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月30日

(17)気づかないアキレス腱

これまで繰り返しコーチングの理論・技法のほとんどは、ブリーフセラピーと総称される心理療法からの流用であったと述べてきました。
この事実を認め「コーチングは対人援助サービスである」と捉えれるならば、コーチングには間違いなく有用性があるとわたしは考えます。
実際問題として、そう考えているからこそわたしはコーチングを提供しているわけです。

さて、しかしながらこのサービスには致命的な欠陥があります。
「心理療法を健勝者向けにアレンジしたアイデア」は素晴らしいのです。
が、コーチングの「ビジネスモデル」に問題がある。

コーチングの理論基盤を検証するシリーズの最後は、コーチングのビジネスモデルについての検証です。

プロのコーチの方が書かれた本には以下のような記述が散見されます。

「コーチ自身がコーチをつけ〜」
「コーチを受けてみないと本当のコーチングが理解できたとは言えない」
「プロのコーチたる者、コーチをつけるのが当然」
さらには、
「コーチを選ぶ場合、そのコーチがコーチングを受けているかどうかを選択の基準とすべし」

「なるほど!」
と頷いてはいけません。

一見しごくもっともと感じられる主張ですが、残念ながら(コーチがコーチを雇う)重要性の根拠となる理屈や原理に関して、明解な解答を見出すことができません。

結論を述べるなら、コーチがコーチを雇う必然性はないのではないか?
何故ならば、プロフェッショナル・コーチはすでに「自立」出来ているからです。
自分のことは自分で解決できるのがプロフェッショナルなコーチです。
コーチを付けるのは、未だ自立できていないクライアントであるはず。

つまり、これがレナード氏が発明した最強のビジネスモデルであり、同時に最大のアキレス腱なのです。
それは何故か?

「プロフェッショナルなコーチと言えどもコーチを雇うのが常識です。たとえばわたしの場合、コーチはアメリカ人で30分500ドル。でもね、これ、コーチとしては当たり前のことなんですよ。だってコーチを雇っていた方がハイパフォーマンスを維持できるから」
「なるほど〜! ではわたしの支払ってるコーチ料なんか安いものなんですね」

上記は少しディフォルメした例です。
とにかくコーチングを考え出したのが金儲けの達人レナード氏です。
ファィナンシャルプランナーとして「継続して」顧客の財産を運用するというビジネスモデルのうま味は充分に知り尽くしていたのです。
その彼がコーチングを思いついて、この「継続的報酬システム」を捨てるはずがない。
当然コーチングにも「継続的報酬システム」を導入したいと思う。
しごく当然な発想あり、起業家であれが誰もが憧れる形態です。

ところが・・・この「ビジネスモデル」こそがアキレス腱なのです、ことコーチングにとっては。
それこそ、いつ切れても不思議でない・・・

と言うことで何がアキレス腱なのか?

つまり流用した理論技法は、そのほとんどが「ブリーフセラピー」であったことに起因します。
ブリーフセラピーは別名「短期」療法です。
この矛盾に気づかれましたか?

心理療法家たちは、時には何年もかかる従来の心理療法に疑問を感じ、もっと短期に有効な効果を得られる心理療法を、と言うことで様々な短期療法を開発しました。
同時に生産性向上を目的に、労働者へのカウンセリングを始めていた米国産業界では、従来の長期に渡るカウンセリングではなく、短期に効果の現れるカウンセリング理論・技法を望んでおり、両者が手を組むことによりブリーフセラピーは急激に発展、普及することができたという背景があります。

このようにコーチングの「承認」も「質問」も「リソース」も、全て「短期」に終結されることを目的としています。
その「短期」を目指した技法を用いて「長期」にセッションを続ける・・・・。
例えるならば、短距離走の指導方法でマラソン競技の指導をする。

これは論理的に破綻していないだろうか?

もう一つ「形容矛盾」「論理的破綻」の根拠を述べましょう。

前掲した「コーチング・バイブル」や「コーチング5つの原則」などには共通するある記述があります。
それは「コーチングの目的」に関する部分です。

「コーチングの目的は、クライアントを長期的にサポートすること」
「コーチングの目的は、クライアントが自分で解決できるようになること」

すでにこの記述が矛盾しています。

「長期」とは具体的にどれくらいなのだろうか?という点も明解ではなく気になるところですが、何よりも冒頭に述べた「プロフェッショナルなコーチもコーチを雇っている」という主張と合わせて解釈すると、実に不可思議な結果が明らかになります。

「コーチングの目的は、クライアント(プロフェッショナル・コーチ)を長期的にサポートすること」
「コーチングの目的は、クライアント(プロフェッショナル・コーチ)が自分で解決できるようになること」

つまりこの解釈では「プロフェッショナル・コーチとは、長期に渡って自分の問題を解決できない者」と述べていることになってしまうのです。

どうしてこのような矛盾が生じるのか?
と同時に、どうして今までこれほど重大なアキレス腱の存在が放置されてきたのか?

放置され続けてきた理由は判然としませんが、矛盾が生じた原因については明白です。

「コーチがコーチを雇う」
「長期にわたってコーチングを継続する」
これらのビジネスモデルは、カウンセラー・心理療法家に義務づけられている「スーパービジョン」「教育分析」を翻案したものです。

「スーパービジョン」とは、自身の所属する組織、流派において「認定された指導員(スーパーバイザー)」が、カウンセラーが提供した事例に基づいて示唆や助言を与えながら行う教育です。
「教育分析」とは教育カウンセリングとも呼ばれ、カウンセラー・心理療法家本人がカウンセリングを受けることで、目的はクライアント体験により自分を客観視するトレーニング的側面と、業務上のストレスや倫理的問題への現実的対処という側面を併せ持ちます。
しかしここで重要なのは、いずれも「研究活動」「自己研鑽」が目的であること。
くわえて継続し続けることは求められておらず、組織、流派によって年1回とか何時間とか規定されているにすぎません。
つまり日常の業務や生活のサポートが目的ではない。

そしてこの矛盾がまた、危険なアキレス腱であるのです。

「指導」とは、自分より経験知識が長け、思想や理論が明確である上位者から受けるものです。
多くは論文、著作、セミナー、教育分析などから判断し、指導を仰ぐという流れになります。
ところが多くのコーチは「まったく研究活動をしていない」という現実に突き当たります。

ではコーチ達は何を基準に自分のコーチを選択しているのか?
と考えるととても不思議に感じませんか?
posted by Shigeo at 18:34| 【4】コーチングの理論基盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。