2008年08月23日

誰も書かなかったコーチング論

「誰も語らなかったコーチング」




「コーチング」といわれるコミュニケーション技法があります。

主にビジネスの現場で活用されることが多く、社員教育・人材育成の商材として取り扱われます。
たとえば部下とコミュニケーションのとれない上司が、部下のモチベーションを高めつつ「自立型人材」に育てるとか、部下の目標達成をサポートしつつ、部署(チーム)全体の目標を達成する手段にとか。

これらをコーチ業界では「ビジネス・コーチング」と呼びます。

別に、生活上の諸問題を解決する手段としても用いられます。
広くは人間関係の悩み・問題、細分化していくと配偶者や子供に関しての問題(家族不和やコミュニケーションの取り方など)、職場や学校での人間関係・友達作り、恋愛に関する様々な悩み、仕事と家庭の両立、転職や進路について、生き甲斐ややり甲斐が感じられないことの悩み、自分さがし等々・・・

これらをコーチ業界では「パーソナル・コーチング」と呼びます。

これで全てではありません。

特に経営者、経営幹部に対するコーチングは「エグゼクティブ・コーチング」と称され、コーチングの中でも別格的に扱われることが多いようです。

さらに、目標が明確で具体的なテーマ、受験、資格取得、独立開業、出世立身等々についても、コーチングは有効とされます。
これらを「エグゼクティブ・コーチング」に含める考え方と、含めない考えがあります。
「エグゼクティブ」という大げさな表現を無視すれば、わたしも含める立場に立ちます。

いずれにしろこれらが押し並べて「コーチング」と呼ばれ、ある共通した技法とスタイルを有します。有するが故に「コーチング」と総称されるのです。

ある共通した技法とは「傾聴」「承認」「質問」というコミュニケーション技法です。
詳しくは別の章で紹介しますが、いずれもコミュニケーションを活性化させる、思考を活発化させる対人関係性に関わる技法です。
具体的にはコーチが「傾聴・承認・質問」という技法が有用に機能することで、クライアント(依頼者)の思考が活性化され、問題解決(課題達成)に向けた取り組みが具体化されていく、というプロセスを構築します。

共通のスタイルとは、セッションの方法です。
セッションとは、コーチとクライアント(依頼者)が対話を行う物理的な時間(契約単位)を指します。
セッションは主に電話での30分程度のやりとりを、週一回とか月数回ペースで継続するというスタイルをとります。
またコーチとクライアントは一度も顔を合わせない場合が多いと聞きます。
(実際、わたしもほとんど顔を合わせません)

ところで、「コーチ」と聞いてまず思い浮かべるのはスポーツのコーチではないでしょうか?
しかし上記の説明とスポーツのコーチでは微妙に(いや、明確に?)ニュアンスが異なる感じはしませんでしたか?

また、「コーチ」という言葉はよく見聞きしますが、「コーチング」となると、あまり馴染みがないように感じます。

「コーチ」はスポーツ界で広く使われている言葉です。
日本人にとってとても馴染みのある外来語の一つだと思います。
しかし不思議なことに彼等は「コーチング」をしません。
メディアや雑誌・書籍の中でも見聞きしません。
彼らは何をするか?
スポーツのコーチは「指導」をします。

このことに違和感を感じるの、わたしだけでしょうか?

この、微妙なニュアンスだけを取り上げても違和感はあるわけですが、今、初めてコミュニケーション技法としての「コーチ・コーチング」を知った方は驚かれるかもしれませんが、実はコーチ・コーチングは「スポーツのコーチング理論」から派生したと解説されてきました。

事実コーチング業界では、スポーツ界で実績を多く残した指導者を、コーチングの達人として紹介することがたびたびあります。
しかし彼らが上記の(コミュニケーション技法としての)コーチングに特化した技法でチームをまとめ上げ、それだけで成功を収めたとは考えにくくはないですか?
それどころか、一切(私たちのよく知っている)「指導」抜きで、スポーツ界で成功することが本当に可能なのでしょうか?
というのも、ビジネスで成功を収めた者が、メジャーなスポーツのコーチ(指導者)に転身して成功はしたという話を聞いたことがないからなのです。

どうもスポーツで成功することとビジネスで成功することや人生を豊かにすることとは、別物なのではないかと思えてならないのです。

逆に、スポーツ界から転身してビジネスでも成功する者はいるでしょう。
しかしこれはスポーツ界に限ったケースではありません。
たとえば芸能界から転身した成功者の例なら、誰でも一つや二人あげられるのではないでしょうか?
それなのにセミナーや研修では、相変わらずスポーツ界の指導者を「コーチングの達人」として紹介し続ける・・・

これもまた違和感です。

どうやら我々の認知している「コーチ」と「コーチング」は別物なのかもしれないのです。
と言うか、この曖昧さをどうして日本のコーチ業界が放置してきたのか、不思議でしかたがありません。

さて、いきなり結論を述べれば、コーチングとはスポーツ界のコーチと関連があるかの如く装い、その誤解を味方にして発展してきた、従来から存在した「ある手法」に過ぎないのではないか?

この疑念が、本論を書くに至った最大の動機です。

また本論では、特定の団体・組織について言及することが多々ありますが、これはそれらの団体・組織に対して異議を申し立てたいからではありません。
この点に関しては強く指摘しておきたいと思います。
というのも、コーチング業界は「何故か」情報量が異常に少ないからなのです。
ソースが限られるから、言及する対象も限られる。

書店のビジネスコーナーには「コーチング」関連の書籍があふれ、コーチング講座も多く開催されていると言うのに、この情報量の「異常な少なさ」も、もう一つの大きな疑問です。
(たとえば「コーチング論・コーチング理論」と題された書籍は皆無に等しいのです)

しかし少ないながらも、この推論により、真実に可能な限り近づけたと、わたしは今思っています。
が、同時に、これはわずかな事実と多くの憶測に過ぎないと指摘される可能性も高いと覚悟しています。
なぜなら、資料があまりにも少ないから。

しかしわたしは思います。

わたしは、未だ誰も試みなかった領域に踏み込んだのだと。
だから、本論がきっかけとなり、コーチングについてもっと正直な論議が活発になるのなら、それこそが本論の最大の功績になるかもむしれないと。

わたしは、いわゆる「コーチ・コーチング」を否定するつもりは微塵もありません。
それどころか、とても有用で画期的なコミュニケーーション技法だと思っています。
ただ、誤解されたり歪曲されて利用されることも多いわけで、それが何故なのかと考えると、どうも「コーチ・コーチング」には何かしらの思惑が潜んでいるからなのではないかと勘ぐらざるを得ないわけです。

はっきり言えば、利潤追求ですね。
コーチングのドクマが、まずそこにある。
だから、語らない方がメリットがあると考えている人たちがいる。

しかし、そこから解放されても、コーチングは有益であることにかわりはないのではないか?
とわたしは思うのです。
それどころか、もっと自由にコーチングを語った方が、コーチングに関して有益であるかもしれない。
いや、もっと言えば、このままで、コーチングの未来はあり得るのかという疑問です。

実は、どれくらいのコーチが気づいているのか知りませんが、コーチングと競合する技法はけっして少なくありません。
しかも他の技法は日々修練を重ねています。
もともと従来の技法の寄せ集めであるコーチングですが、他の技法は多くの研究機関で臨床を含めて研究され続けており、いずれコーチングの基盤となっている技法が「過去の遺物」となる日が来るかもしれない。
そうならないためにも、もっとコーチングについてオープンに議論した方がいいのではないか?

どんなに自由に語っても、コーチングの素晴らしさは曇ることはないと思うのですが・・・


本論の構成は以下の通りです。
まず、コーチングの不自然な歴史について検証します。
この結果から、コーチングが自然発生的に生まれた技法ではなく、意図的に社会に送り出されたシステムであることが確認されます。
次に、誰がコーチングを生み出したかについて検証します。
この結果から、コーチングがどうしてこんなにも多様性を持つのか、どうして統一理論化がなされなかったのかが確認されます。
最後に、コーチングの基盤となる他の技法について検証します。
この結果、逆説的にコーチングの画期的な先進性が明らかになります。

いずれにしろ本論は、コーチングを貶めるために書かれたものではなく、この議論から、新たな展開を見いだすために書かれました。

筆者、尾内のコーチング理論「ALIVEコーチング」については、別ブログ「今日から始めるセルフ・コーチング」で詳細を明らかにしていく予定です。
この特徴を簡単に述べるなら、契約期間が短期(平均三ヶ月)で、契約延長を原則しないことと、クライアントがセルフ・コーチングできるようになることが最終目的であるという点に尽きます。

つまり「コーチからの卒業」がゴールです。
たぶん、ほとんどのコーチが絶対に発想できないゴールではないでしょうか?

また、別ブログ「今日から始めるセルフ・コーチング」と本論は相互補完関係にあります。
併せてお読みいただけると、コーチングについてさらに深い理解が得られると思います。
posted by Shigeo at 11:19| 【1】序章 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月30日

(1) コーチングとの出会い

コーチングはとても画期的で有用な対人援助技法です。
くわえて「導入効果が測定しやすい」
また偶然なのか時代的な要請だったのか、同時期に開発された経営戦略手法「バランス・スコアカード」との親和性が高く、バランス・スコアカードと同時にコーチングを導入すると、さらに導入効果が向上すると言われています。
それ故に企業への導入が促進され、大手企業で一度もコーチングに触れていない企業は存在しないのではないか?
などと言われたりもします。

日本でコーチングが一気に広まったきっかけとして、日産自動車のゴーン社長の存在があげられます。
ゴーン氏は、経営危機に陥った日産自動車に乗り込み、様々な革新的な施策を断行し、日産自動車のV字改革を成し遂げました。
実は、彼が矢継ぎ早に実施した改革の中の一つにコーチングがありました。
日産自動車では全管理職にコーチング研修を行い、現場での実践を義務づけたそうです。
それまでは、用事があると部下をデスクに呼びつけ、背もたれに寄りかかったままで話を聞いていた管理職たちが、コーチング研修を受けた後、自ら部下のデスクに赴き、腰を落として部下と同じ目の高さでにこやかに話しかける・・・
そんな情景が、テレビなどのメディアで幾度も取り上げられ、これによってコーチングが広く日本に知られることとなったのです。

しかしこれはある意味、衝撃的な出来事でした。
日本にはホワイト・カラーの現場にも「技術は教わるのではなく盗め」という慣習が根強く残っていて、たとえば営業職にあっては、バブル崩壊後様々な価値観が崩壊したにも関わらず「根性」「足で稼げ」「体育会系」などが依然としてキーワードとして通用していたのです(現在でも見受けられることは少なくないのですが)。
当然、上司には強く厳しい態度や気持ちが求められます。
成果主義が取り入れられてからは尚更でした。
ところがメディアで取り上げられた日本を代表する企業の変革の様子が、ホワイト・カラーの「理想の管理監督者像」を一変させてしまったのです。

また、ビジネス・コーチングがそれほど抵抗なしに受け容れられた背景として、何よりも部下に受けがよかったからだと考えられます。
それは考えてみれば当然。
なにしろ高圧的で否定的で独善的だった上司が、人格が180度変わったように、友好的で肯定的で協調的になったわけですから。

たぶん、この出来事をきっかけとして、世代間のコミュニケーションギャップに腐心していた多くの企業で、コーチングの導入が加速化されたのです。
ビジネス・コーチングは、ゴーン氏が日本に広め、根付かせたと言っても過言ではないでしょう。

もちろん日産自動車に導入されるまで、日本にコーチングがなかったわけではありません。
なかったどころか、コーチングを日本で初めて紹介し、いち早く提供を始めていた組織があったからこそ、日産自動車は容易にコーチング研修を導入できたのです。

いつも感心させられるのは、どんな分野にも先見性を持った人物が存在するということ。
日本のコーチングも、まさに天才的な先見性を持ち合わせていたある人物によって普及したのでした。
(いずれ、この方についても言及します)

ところで、わたしコーチングと出会ったのもこの動きのさなかでした。
最初に手に取った書籍は、スポーツ・トレーナーによる(ビジネスでも活用できる)コーチングの入門書でした。
が、実はこのとき、わたしはコーチングに何の意味も価値も見いだせなかったのです。
それは単なる「チーム・マネジメント」を語っているように感じられました。
なんだか損をした気分と、自分の理解力が足らないのかという負い目と、その両方を感じたことを今も覚えています。
まとめると「釈然としない」感じでした。

実は、これが現在も続く「コーチングの最大の誤解」なのですが、この時はそんなことを知るよしもなく、わたしは「コーチングはつまらない」と結論付けてしまったのです。

さて、再度コーチングと出会ったのは、わたしがカウンセリングを始めてからのことです。
様々なカウンセリング理論を学ぶ過程で、コーチという肩書きを持つ人たちと出会いました。
しかし彼等が語るコーチングは、かつてわたしが手に取った書籍の内容とはまったく異なりました。
異なりましたが、その時は(その理由を)深く考えず、勧められるままに推薦図書を読み、そしてようやく合点がいったのです。

以来わたしは、カウンセリングを行いながら、コーチングを学び始め、今に至ります。

このようにして日本に根付いたコーチングですが、それではいったいコーチングとは、いつ誰が考え出した理論(もしくは技法)なのでしょう。
ふつう・・・・新参者はこういうことが気になります。
少なくともわたしは知りたいと思いました。
そして大抵は書籍の奥付に年表や参考文献があって、それを切っ掛けに源流をたどっていけば事足りるのです。
ところがわたしは、ここで思わぬ苦戦を強いられました。
結論から述べれば「わからない」のです。
途切れ途切れに散在するエピソードが、不思議なことにつながらない。

これが最初の違和感。
最初の疑念でした。
それではまず、コーチングの歴史について検証していきましょう。
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