2009年01月30日

(17)気づかないアキレス腱

これまで繰り返しコーチングの理論・技法のほとんどは、ブリーフセラピーと総称される心理療法からの流用であったと述べてきました。
この事実を認め「コーチングは対人援助サービスである」と捉えれるならば、コーチングには間違いなく有用性があるとわたしは考えます。
実際問題として、そう考えているからこそわたしはコーチングを提供しているわけです。

さて、しかしながらこのサービスには致命的な欠陥があります。
「心理療法を健勝者向けにアレンジしたアイデア」は素晴らしいのです。
が、コーチングの「ビジネスモデル」に問題がある。

コーチングの理論基盤を検証するシリーズの最後は、コーチングのビジネスモデルについての検証です。

プロのコーチの方が書かれた本には以下のような記述が散見されます。

「コーチ自身がコーチをつけ〜」
「コーチを受けてみないと本当のコーチングが理解できたとは言えない」
「プロのコーチたる者、コーチをつけるのが当然」
さらには、
「コーチを選ぶ場合、そのコーチがコーチングを受けているかどうかを選択の基準とすべし」

「なるほど!」
と頷いてはいけません。

一見しごくもっともと感じられる主張ですが、残念ながら(コーチがコーチを雇う)重要性の根拠となる理屈や原理に関して、明解な解答を見出すことができません。

結論を述べるなら、コーチがコーチを雇う必然性はないのではないか?
何故ならば、プロフェッショナル・コーチはすでに「自立」出来ているからです。
自分のことは自分で解決できるのがプロフェッショナルなコーチです。
コーチを付けるのは、未だ自立できていないクライアントであるはず。

つまり、これがレナード氏が発明した最強のビジネスモデルであり、同時に最大のアキレス腱なのです。
それは何故か?

「プロフェッショナルなコーチと言えどもコーチを雇うのが常識です。たとえばわたしの場合、コーチはアメリカ人で30分500ドル。でもね、これ、コーチとしては当たり前のことなんですよ。だってコーチを雇っていた方がハイパフォーマンスを維持できるから」
「なるほど〜! ではわたしの支払ってるコーチ料なんか安いものなんですね」

上記は少しディフォルメした例です。
とにかくコーチングを考え出したのが金儲けの達人レナード氏です。
ファィナンシャルプランナーとして「継続して」顧客の財産を運用するというビジネスモデルのうま味は充分に知り尽くしていたのです。
その彼がコーチングを思いついて、この「継続的報酬システム」を捨てるはずがない。
当然コーチングにも「継続的報酬システム」を導入したいと思う。
しごく当然な発想あり、起業家であれが誰もが憧れる形態です。

ところが・・・この「ビジネスモデル」こそがアキレス腱なのです、ことコーチングにとっては。
それこそ、いつ切れても不思議でない・・・

と言うことで何がアキレス腱なのか?

つまり流用した理論技法は、そのほとんどが「ブリーフセラピー」であったことに起因します。
ブリーフセラピーは別名「短期」療法です。
この矛盾に気づかれましたか?

心理療法家たちは、時には何年もかかる従来の心理療法に疑問を感じ、もっと短期に有効な効果を得られる心理療法を、と言うことで様々な短期療法を開発しました。
同時に生産性向上を目的に、労働者へのカウンセリングを始めていた米国産業界では、従来の長期に渡るカウンセリングではなく、短期に効果の現れるカウンセリング理論・技法を望んでおり、両者が手を組むことによりブリーフセラピーは急激に発展、普及することができたという背景があります。

このようにコーチングの「承認」も「質問」も「リソース」も、全て「短期」に終結されることを目的としています。
その「短期」を目指した技法を用いて「長期」にセッションを続ける・・・・。
例えるならば、短距離走の指導方法でマラソン競技の指導をする。

これは論理的に破綻していないだろうか?

もう一つ「形容矛盾」「論理的破綻」の根拠を述べましょう。

前掲した「コーチング・バイブル」や「コーチング5つの原則」などには共通するある記述があります。
それは「コーチングの目的」に関する部分です。

「コーチングの目的は、クライアントを長期的にサポートすること」
「コーチングの目的は、クライアントが自分で解決できるようになること」

すでにこの記述が矛盾しています。

「長期」とは具体的にどれくらいなのだろうか?という点も明解ではなく気になるところですが、何よりも冒頭に述べた「プロフェッショナルなコーチもコーチを雇っている」という主張と合わせて解釈すると、実に不可思議な結果が明らかになります。

「コーチングの目的は、クライアント(プロフェッショナル・コーチ)を長期的にサポートすること」
「コーチングの目的は、クライアント(プロフェッショナル・コーチ)が自分で解決できるようになること」

つまりこの解釈では「プロフェッショナル・コーチとは、長期に渡って自分の問題を解決できない者」と述べていることになってしまうのです。

どうしてこのような矛盾が生じるのか?
と同時に、どうして今までこれほど重大なアキレス腱の存在が放置されてきたのか?

放置され続けてきた理由は判然としませんが、矛盾が生じた原因については明白です。

「コーチがコーチを雇う」
「長期にわたってコーチングを継続する」
これらのビジネスモデルは、カウンセラー・心理療法家に義務づけられている「スーパービジョン」「教育分析」を翻案したものです。

「スーパービジョン」とは、自身の所属する組織、流派において「認定された指導員(スーパーバイザー)」が、カウンセラーが提供した事例に基づいて示唆や助言を与えながら行う教育です。
「教育分析」とは教育カウンセリングとも呼ばれ、カウンセラー・心理療法家本人がカウンセリングを受けることで、目的はクライアント体験により自分を客観視するトレーニング的側面と、業務上のストレスや倫理的問題への現実的対処という側面を併せ持ちます。
しかしここで重要なのは、いずれも「研究活動」「自己研鑽」が目的であること。
くわえて継続し続けることは求められておらず、組織、流派によって年1回とか何時間とか規定されているにすぎません。
つまり日常の業務や生活のサポートが目的ではない。

そしてこの矛盾がまた、危険なアキレス腱であるのです。

「指導」とは、自分より経験知識が長け、思想や理論が明確である上位者から受けるものです。
多くは論文、著作、セミナー、教育分析などから判断し、指導を仰ぐという流れになります。
ところが多くのコーチは「まったく研究活動をしていない」という現実に突き当たります。

ではコーチ達は何を基準に自分のコーチを選択しているのか?
と考えるととても不思議に感じませんか?
posted by Shigeo at 18:34| 【4】コーチングの理論基盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月19日

(16)学術的ということ

前回の検証の補足です。

再び平野圭子氏のコラムから同箇所を引用します。
http://www.coach.or.jp/news/backnumber/20060920.html

「 現在アメリカの大学では、コーチングを「行動学」などに関連づけて学術的に研究し始めています。そして、今まで学術とは関係のなかった数多くの現役コーチたちが大学の成人学習プログラムの授業で教鞭をとっています。」

既にわたしが明らかにしたように「コーチングは心理療法もしくはコンサルティング、マネージングの翻案」です。
しかしながら、この事実を認めてしまっては、コーチングはコーチングとして存在意義を見いだせません。
ここでの「行動学」が具体的に何であるか判断できませんが、いずれにしろ新たなる理論基盤を模索していることがうかがい知れます。

また平野氏に他意はないのでしょうが、この記述を額面通り受け取るわけにはいきません。
平野氏は「数多くの現役コーチたちが大学の成人学習プログラムの授業で教鞭をとって」いると述べます。この文章からは「コーチングが学術的に認められつつある」という印象が持たれます。
しかしそもそも「成人学習プログラム」とは何でしょう?
それは、正規の学生の単位となる授業ではないということです。
日本で言うところの「社会人向け講座」でしょうか?
であるならば「今まで学術とは関係のなかった」現役コーチたちという装飾語はまったく意味を成しません。
これがもし「今まで学術とは関係のなかった数多くの現役コーチたちが大学の【正規授業で理論についての】教鞭を」とり・・・であったならまったく話は違います。

例えば日本でも、栃木の宇都宮大学で以下のような取り組みが開始されます。
「宇都宮大学 工学研究科特別講義「共創コーチング特論」」
http://www.utsunomiya-u.ac.jp/event/2008/11/cc-coaching.html

しかしこれもまた「コーチング理論」が存在することが大前提であり、講義の目的は「コーチング理論の学習や研究」ではなく、あくまでも「コーチング・スキルの習得」です。
これは「社会人として有益なスキルとしてコーチングがたまたま選ばれた」だけではないでしょうか?
つまり「ソーシャルスキル・トレーニング」の一環に過ぎません。
それなのにコーチが大学で教鞭に立つと、それだけでコーチングが学問として認められたという驚くべき論理的飛躍につながるのです。
コーチング・スキルを学生のために取り入れている大学は他にもあるでしょう。
しかし「コーチングを学術的に研究している大学」は日本に存在するのでしょうか?

コーチングも対人援助手法の一つです。
大きくくくれば「コミュニケーション論」の一部かもしれません。
しかしどの分野であっても「学術的な研究」がなされるというのなら、有用性に関するサンプリングと統計的分析、そしてデータの開示が不可欠です。
それらが開示されて初めて「学術的研究」がなされたと言います。
カウンセリング・心理療法の各流派も、各種テストも、全て同じ過程を経て、批判や反論に晒されて現在広く利用されています。

これらの学術的研究がなされないで、何故に(心理療法との関係性を否定もしくは無視する)コーチングが「対人援助」に有効と断言できるのでしょう?
posted by Shigeo at 18:11| 【4】コーチングの理論基盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月09日

(15)誰も見たことのない「コーチング理論」

コーチングは明らかに心理療法から相当数ノウハウを取り入れて成長してきました。
しかしこの事実は日本ではほとんど知られておらず、またほとんど(まったく?)議論されていません。
が、米国では心理療法との関係性について論議されたことがあるという文献を見出しました。

以前紹介した平野圭子氏のコラムに、次の一節がみとめられます。

「米国で常に議論の的であった『コーチ対セラピスト』」

米国では「常に論議の的」であったと氏は述べているのです。

この温度差は当然なのかもしれませんが、そもそも日本では、未だ気軽にカウンセリングを受けるという文化が育っていません(育つ必要があるのかどうかは不明ですが)。
米国ではカウンセリングが発達していましたから、カウンセラーの仕事をコーチが取ったという論争があるのかもしれません。
何故なら平野氏は続けてこう述べているからです。

「職業としてのコーチから、企業組織内におけるマネジメントスキルとしての『コーチングの知識』が求められる」ように変化したので、「コーチ対セラピスト」という論議は沈静化した。

「 」以外はわたしが付け足しています。

言い換えると、コーチングの知識がマネジメントスキルに収斂されていった過程で、セラピー(心理療法)との棲み分けができるようになったということなのか?

これはカウンセリング・マインドに倣って「コーチング・マインド」と呼ばれている考え方です。
つまり、養成機関でコーチの認定を受けるまでではないが、数回の研修をマネジャーが受講して、コーチングの基本的知識と概念を学んで現場で実践してもらう・・・というものです。
これはまさしく「メンタルヘルス対策」です、カウンセリングで言うところの。

ちなみにNLP陣営は「コーチングはNLP理論に基づいており、全てのコーチングはNLPコーチングにすぎない」と言います。
実はNLPもソリューション・フォーカスト・アプローチの源流であるミルトン・エリクソンの理論や技法、家族療法を積極的に取り入れていますから、その主張はオーバーではありますが間違っているとは言い切れません。

さて、話を戻しますが、平野氏のコラムの記述と類似した文献は他にも存在します。
「エグゼクティブ・コーチングが失敗する時(筆者:スティーブン・バーグラス 出典「コーチングがリーダーを育てる(DIAMONDハーバード・ビジネス・レビュー編集部編 ダイヤモンド社(2006))

この論文の中に以下のような記述がみとめられます。

「〜エグゼクティブ・コーチングは「インスタント心理療法」として登場〜」

「ビジネス・グールーのウェーレン・ベニスは「エグゼクティブ・コーチングは、心理療法の一種である。ただし心理療法と比べて世間体がよい」と言っている。」

日本でタブー視されてきたこの関係性が(著名な論文集に)堂々と記述されています。

この論文集は(研究資料として)とても含蓄に富んでいて、後日詳しく言及する予定です。

さてこのようにパーソナル・コーチングはそのほとんどの技法・理論をカウンセリング・心理療法に依存しており、コーチング独自の理論は存在しないと考えられるのです。
しかしこれは問題ではないのでしょうか?

実はこの問題に関しても、再び平野圭子氏のコラムからヒントを求めましょう。
http://www.coach.or.jp/news/backnumber/20060920.html

「この10年間、「コーチとは何か」「コーチングとは何か」について多く語られてきました。【しかし】日本では、どちらかというと「コーチング」のノウハウやスキルに多くの焦点が当てられてきたように思います。

 現在アメリカの大学では、コーチングを「行動学」などに関連づけて学術的に研究し始めています。そして、今まで学術とは関係のなかった数多くの現役コーチたちが大学の成人学習プログラムの授業で教鞭をとっています。

 ニューヨーク在住で、現在国際コーチ連盟の副委員長を務めるプライヤー氏はこう語りました。
「大学で教えるとインテリ層の激しい議論に応対する必要があるのでとても勉強になる」と。」

【しかし】は、筆者が追加しました。

つまり米国では「コーチ論についての論議があったが、日本ではなかった」ということになります。
日本コーチ協会の理事がそれを認めている。

では日本では、どの程度の議論や研究がされているのでしょう。
わたしはここで、驚くべき真実をみなさんに紹介します。

日本語の学術論文に関しては、以下のサイトで検索することが可能です。
「国立情報学研究所 GeNii 学術コンテンツ・ポータル」
http://ge.nii.ac.jp/genii/jsp/index.jsp

ここで「コーチング 理論」をキーワードに検索を行いました。
結果は、ヒット数0です。
厳密に言えば「コーチング理論に基づいた○○」という文献は存在します。
が、その基盤となる「コーチング理論」そのものに踏み込んだ文献は存在しない。
つまりここでも「コーチング理論は既にある」ことが前提とされている。

この典型的な例が、前掲した「難病患者を支えるコーチングサポートの実際」です。
この書籍の、本文の「コーチ」や「コーチング」を全て「プリーフセラピスト」「ソリューション・フォーカスト・アプローチ」に置換したとしても、まったく内容的に不都合は生じません。
それどころか、わたしには、本来「カウンセラー」「ソリューション・フォーカスト・アプローチ」とすべき単語を「コーチ」「コーチング」としただけと受け取れてなりません。

また最近では、コーチングは教育の現場にも有効だと言われておりますが、すでに教育現場ではソリューション・フォーカスト・アプローチが取り入れられています。

「ソリューションバンク.net」
http://www7b.biglobe.ne.jp/~solutionbank/index.html

ここに寄せられている事例データベースを目の当たりにして、今更「教育にもコーチングが有効」とは、何を根拠に述べるのか、その優位性や独自性をぜひ明らかにしていただきたいものです。

以上が「コーチング理論は存在しない」という根拠です。
もろちん技法やツールであれば、コーチングに固有なものも存在するでしょう。
しかし理論と技法と別物です。
戦略と戦術の違いと同じです。

また上記は、パーソナル・コーチングに関する検証であってビジネス・コーチングに当てはまらないと言うご指摘があるかもしれません。
では、ビジネス・コーチングやエグゼクティブ・コーチングと、コンサルティング、マネージングとの違いは何なのでしょうか?
posted by Shigeo at 23:29| 【4】コーチングの理論基盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年01月05日

匿名さんへの返信

先月、匿名の方よりメールをいただきました。
記載されていたメールアドレスも架空のようだったので、この場で返事を書かせていただきます。
(いただいたメールを転載しますが、匿名性が高いので問題ないと判断させていただきました)

------------------------------------------------------
コーチングの発祥が”隠された”というご意見ですが、
こんな見方はできませんか?

”隠された”のではなく、単にビジネスとして、治療行為の
カウンセリングと差別化したかった、健常者に対する異なるサービス
としてビジネスマンに認知して欲しかった。カウンセリングやセラピー
というと、少々抵抗が生まれる。

手法は一緒だが、健康なビジネスマンが、よりパフォーマンスを高める
ために、ブリーフセラピーなどを受けるサービスに、別の名前をつけた。
それが、”コーチング”サービスだった、と。

私はそんな解釈をしています。
”隠す”というと、悪意がある感じがしますが、
単にセラピーとは別のものとして認知してほしくて、名前を選んだ
だけなのでは、ないかと。

コーチングは元となる理論がありませんが、それは
コーチングは理論でなく、単に新しいサービスの形態ではないかと。
------------------------------------------------------

いただいたご意見、とてもごもっともだと思います。
また「コーチング」は理論ではなく「サービス」の一形態であるというご指摘、まったく同意します。
というか、結論を見抜かれてしまいましたね(苦笑)

ご推察のとおり「隠す」「隠された」という形容はわたしの主観が相当、込められていますし、本当に「この事実は隠しちゃえ!」という会話が創始者達の間で成されていたかどうかを知っているわけでもありません。

ではなぜそれでもわたしは「隠された」と書くのか?
それは・・・今に至っても「その事実」をオープンにしないからです。

現在でもコーチング関連書籍は新刊され続けていますが、未だに「カウンセリングは原因探求、コーチングは未来探求」と類似した記述を見かけます。
と同時に「『カウンセリングは原因追及』というのは誤りだった」という記述には出会っていません。

これらのことからわたしはコーチング界には「隠したい」意図があるのではないかと推察するのです。

例えば先日、mixiの「コーチング」コミュニティでこんなトピックが立ちました。
「コーチングとカウンセリング」
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=38159434&comm_id=3361
以前と比べてカウンセリングとの類似点に気づかれている方も何人かいらっしゃって心強く感じたのですが、相変わらず「カウンセリングは原因追及」と偏った認識をお持ちの方もいらっしゃいます。

つまりいずれにしろ日本のコーチング界は未だに「事実を明らかにしていない」
そして「事実をオープンにしようと言う仕組みが存在しない(機能していない)」ことに関しては、同意していただけると思います。

ところで、最近になってようやくコーチング界に新しい波が押し寄せてきています。
具体的な団体名は書きませんが、ヨーロッパで誕生した「ソリューション・フォーカスト・コーチング」という流れです。
彼らは自身の理論基盤をブリーフセラピーに求め、その事実を明示し、カウンセリング(セラピー)という枠組みを大きく乗り越えてビジネス・コンサルティングに解決志向アプローチを取り入れています。
また一対一のセッションから、グループ・ダイナミズム、チーム・マネジメント、コンサルティングという一連の流れを連続的に体系的に網羅しています。

前回「現在、日本に広まっているコーチングの基盤はソリューションフォーカスト・アプローチである」とわたしは述べましたが、とするとこのヨーロッパから来た新しい流れのネーミングはとても奇異です。
言い方を変えると、新参者に「こっちこそが本家だ」と言われているようなものです。
となると・・・確かに今更「実はカウンセリングが元ネタで・・・」とは言いにくいのも頷けます。
もはや、隠匿し続けたいのではなく「言えなくなってしまった」

こんな推理はいかがですか?
posted by Shigeo at 17:39| 備考・雑記など | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月21日

(14)カウンセリングとの違いとは

前回わたしは、現在流布しているコーチングの分類法「エグゼクティブ/パーソナル/ビジネス」では、コーチングの特徴や得意とする技法は明らかにならないと指摘しました。
そして自己達成型コーチングは、各種コンサルティング・マネジメントの異名であり、自己達成型コーチングは、ある種のカウンセリング、心理療法の翻案であると考えれば全てがクリアになると述べました。

今回は「自己実現型コーチング=カウンセリング、心理療法」とわたしが主張する根拠について検証します。

その前に、コーチングセミナーやコーチング入門書で(頻繁に)見かける以下の記述について検証しなければ先に進めません。
それはコーチングとカウンセリングの違いについて述べられる説明で、多くは「コーチングとティーチングの違い」、「コーチングとコンサルティングの違い」と同列で扱われます。
では「コーチングとカウンセリングの違い」はどう説明されているのか?

「カウンセリングは原因探求、コーチングは未来探求」
「カウンセリングは過去に遡って問題となって原因を取り除く手法で、コーチングは未来に向かって解決を目指すものであり、両者は根本的に違う」等です。
オリジナルソースは明かでなく、推察ではコーチ・ユニバーシティのテキストに原典があるのではないかと感じますが、この説明に触れたことのある人であれば、どうしてわたしがコーチング=カウンセリングと主張するのか不審に感じられるかもしれません。

しかし実は、この説明は事実を歪曲しています。

確かにカウンセリング・心理療法の祖はフロイトであり、彼が発明したものが「原因遡及型」の精神分析でした。
しかし現在カウンセリング・心理療法には多くの流派があって、特に近年においては原因遡及型の心理療法は最早主流ではありません。
ブーム(と言う言い方も変ですが)となっているのは、解決志向、短期、行動、認知などに焦点を当てた流派で、いずれも「過去に遡って問題となっている原因」を取り除いたりはしません。
(それどころか原因すら特定しません)
したがってコーチングが比較対象としているカウンセリング(心理療法)は、具体的には「精神分析療法」に限定されます。

確かにフロイドは現代カウンセリング・心理療法の祖です。
しかし現代では主流ではなく、あくまでも「数多あるカウンセリング・心理療法の一流派」に過ぎません。
それをあたかも「カウンセリングの共通理念」のごとく取り扱い比較する。
この歪曲をどう解釈すればいいのでしょう?

「それは単なる事実誤認ではないか?」と擁護される方がおられるかもしれません。
が、残念ながら後述する通り、コーチングが「解決志向、短期、行動」に注目した比較的新しい心理療法から多くの技法を取り入れている事実から「未来志向、解決志向なカウンセリングの存在は知らなかった」という主張はまったく受け容れられません。

さて、いずれにしろコーチングの最大の問題は、それらの源流や基盤を明確にしていないことに尽きます。
たとえば多くの書籍では「コーチング理論では、クライアントをサポートすることで成長ができるとされ」などと、いきなりコーチング理論が自明のものとされています。
しかしレナード氏は明確に「利益を得ることが」コーチングであると述べています。
コーチングの基本であるクライアントの自発性を促す「傾聴・承認・質問」に関しては一言も述べられていません。
しかしこれはCTIも似たような状態です。
コーチング・バイブルは良書ではありますが、やっぱり技法の出所を隠している。

では、全てのコーチングに共通な技法「傾聴・承認・質問」はどこから来たのか?

それは米国で生まれたブリーフセラピーと総称される心理療法です。

極論するならば、ブリーフセラピーを健常者向けにアレンジしたものが「自己実現型コーチング」です。
更に強調するならば「自己実現型コーチングは心理療法以外の技法を有しない」とも言えます。

しかし実はこれこそが「コーチング」というネーミングに匹敵するほど斬新な発明なのでした。

言い方は色々ありますが、基本は「傾聴・承認・質問」です。
これはどこの養成機関でも言っている。
しかしそれぞれを詳細に検証すれば、何一つコーチングに特有な技法は存在しないことが分かります。

「傾聴」はロジャースが開発した「来談者中心療法」の中心的技法です。
ロジャースは「クライアントとの信頼関係と共感的理解、そして傾聴こそがクライアントの自発性解決を促す」と語っています。
来談者中心療法はブリーフセラピーではありませんが、「傾聴」技法は現在、ほとんどのカウンセリング・心理療法が取り入れています。

「承認」と「質問」は、ミルトン・エリクソンを源流とする家族療法、MRI、ソリューションフォーカスト・アプローチなど(この流派は派生したものが実に多様なので最低限の例にとどめました)
「承認」はまた交流分析(ブリーフセラピーではありませんが)のストロークと極めて類似する部分があります。

その他、論理療法・認知行動療法などもずいぶん翻案されている。
またCTIの「グレムリン」は交流分析で言えば禁止令、ソリューションフォーカスト・アプローチでは外在化。
実際のところソリューションフォーカスト・アプローチそのものが「解決志向」「未来志向」を一番の特徴としているのですから、コーチングの「今を支える」という考え方とまったく同じです。

他も同じです。
「答えは自分の中にある」
「解決リソースは全てクライアントの中にある」
「過去と他人は変えられない」
これらも全てカウンセリング・心理療法の思想。
カウンセリングはコンサルテーションをしないといわれますが、認知行動療法ではコンサルティング、行動管理がとても重要な役割を果たします。
そして肝心の「ゴール」「課題」すらもブリーフセラピーの重要な技法です。

コーチングモデルとして有名なものに「GROWモデル」がありますが、これを使うくらいならいっそ認知行動療法のいくつかの治療シートをそのまま流用した方がより効果的なコーチングが可能です。
(※GROWモデルとは、Goal(目標の明確化)、Reality(現状の把握)、Resource(資源の発見)、Options(選択肢の創造)、Will(目標達成の意志)の頭文字を取ったもの)

しかしこれらの真実は隠されました。
隠すためにダイレクトに同じ用語を使わず翻案された技法もあります。
しかしこれが問題となるのです。

「承認」はコーチングではアクノレッジメント(acknowlegdement)と言います。
承認・感謝という意味です。
ではソリューションフォーカスト・アプローチでは何と呼ばれているか?
それはコンプリメント(Compliment)です。
同じく誉めるという意味がありますが、語源としては「com-共に+plre満たす+-MENT=意を満たすようにすること」、つまり「補完」です。
サプリメント(supplement)と近い言葉であって、補うという意味合いがある。
つまりコンプリメント(賞賛)は誉めると同時に、クライアントの行動や変化を追認して補完するという意味がある。
誉めることが「補完」となり得る。
補完されることでクライアントは自己に肯定感を持ち、自由な発想をすることを自分に許可します。
自由な発想がやがて、類似した過去の経験の中からヒントとなって言語化される。
この過程が「解決像はクライアントの中にある」という言葉の真意なのです。
そして、こういう理論に基づいて「誉める」のが心理療法。

これがコーチングに取り入れられたとき、心理療法の影響を払拭したいから出来るだけ翻案をした。
しかも表面的な意味だけを取り上げてアクノレッジメントに変えた。
この結果、コンプリメントに込められていた「意味」は失われてしまいました。
だからコーチングでは、どういう理由で誉めるかというと単なる「勇気づけ」や「動機付け」になってしまう。
養成講座では「ブタもおだてりゃ木に登る」などと説明したりする。
(ただしブリーフセラピーの中でも、あまりコンプリメントを用いないカウンセラーも存在します。しかしそれはコンプリメント以外の技法に長けているカウンセラーの場合に可能なケースであるというのが私見です)
posted by Shigeo at 23:43| 【4】コーチングの理論基盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月12日

(13)分類という混乱

前回で、コーチングの源流をたどる検証は終わりました。
今回からは「コーチングとは何なのか」という本論です。
まず結論から申し上げれば「(いわゆる)コーチング論・コーチング理論は存在しない」というのがわたしの主張です。
根拠としては「学術的に研究された書籍・論文が(日本では)存在しないから」です。

この検証を開始するにあたってまずコーチングにおける「ジャンル」について考察します。

これまでにわたしが明らかにしたことから以下のコーチングの潮流が見えてきました。

フィナンシャル・プランナーのノウハウを追求して「対人援助技法」を構築したのはトマス・レナード氏。
心理療法の理論や技法を積極的に取り入れて人間性の成長をサポートしようとし「対人援助技法」の基礎を築いたのはCTIの創設者たち。
現代に至るコーチングの広がりは、全てこの2者を基点としています。
どんな流派・思想であってもいずれかの影響下にある。
つまり「コーチングは異なる2つの思想を最初から有している」
言い換えるなら「コーチングは異なる2つの思想をその出発点とした」

しかし両者にも違えない共通点があります。
それはいずれも「自己実現」を目指しているということ。
これこそがコーチングと命名された対人援助技法が、当時の米国を席巻していた「ヒューマン・ポテンシャル・ムーブメント」の影響化で誕生した明白な証拠です。
(それ以前に「自己実現」という発想は知られていなかった)

ここでは仮にコーチ・ユニバーシティ派を「自己達成型コーチング」
CTI派を「自己成長型コーチング」と名付けます。

理由としては、コーチ・ユニバーシティ派は具体的なゴール(資産・待遇・資格等の獲得)を有し、目標達成を目的とする傾向が強いからです。
またCTI派は、ゴールが目に見えない、形とならない場合があるなど、「心の安定」や「充足感」を目指す傾向が強いからです。

しかし現代において、このような分類はなされません。
上記は「思想」を基準とした分類であって、このような分類はずっと避けられてきたのです。

現在のコーチングを大まかに分類すると、
1.パーソナル・コーチング
2.エグゼクティブ・コーチング
3.ビジネス・コーチング
の3つに集約されます。
更に細分化すれば無限と感じられるほど専門性に特化したコーチングは存在しますが、いずれも上記の3点に分類可能です。

いずれにしてもこれらの分類は「様式」上の分類です。
言うならば「どういう立場のクライアントに対して実施されるか?」という分類です。
これをカウンセリングで例えるなら、会社員と主婦と社長に対してカウンセリングの名称が異なると言った具合です。
・・・と例えると、とても不思議でおかしな分類だとは感じませんか?
しかし誰も不思議と思わずに、こんな不可思議な分類を是としてきたのです。

この様式的分類法(関係性分類法)が如何に矛盾に満ちているか、もっとも限定的と思われるエグゼクティブ・コーチングについて考えてみましょう。

これは主に経営者クラスに対して実施されるコーチングを指し、概ねパーソナル・コーチングより単価が高く、コーチングの中では珍しく専門性が不可欠というのが特徴です。
(コンサルティング能力が必須とも言われます)
また経営者クラスがクライアントなのですから当然、業績・収益向上がゴールになると考えられます。
したがって思想的分類上での「自己達成型コーチング」とイコールではないかとも考えられます。

しかしここに有名な事例があります。
かつて米国GEのジャック・ウェルチ会長が28歳の女性コーチを雇っていたという逸話です(オリジナルソースは不明ですが)。

このコーチは経営や電機産業についてもまったくの素人で、このことから「コーチングは専門分野でなくても可能である」という主張を引き出す道具として語られている事例です(というか、その論法を引き出すために紹介された事例でしょう
)
しかしウェルチ氏の意図はどこにあったのか?と考えれば想像は容易です。
氏は一種のブレーン・ストーミングを期待したのでしょう。
価値観も立場も境遇もまったく異なる相手と話すことによって、自身の思考が活性化されることを望んだ。
または思考の硬直化を防止しようとした。
こう考えるのが妥当です。
そしてこの想像が妥当であるのなら、この「28歳の女性コーチ」が持ったセッションは果たして「エグゼクティブ・コーチング」と言えるものだったのでしょうか?
明白なのはクライアントが「エグゼクティブな立場」であったというだけです。
高度なコンサルティング能力も、多くの経験も必要ないというならば、そもそも「エグゼクティブ・コーチング」と名付ける必要がないのです。

このように現代の分類は単に「様式」「関係性」を指しているに過ぎません。
コーチの特性や思想、得意とする手法に応じた分類(もしくは定義)を現す言葉はありません。
企業でコーチングを受ければ「ビジネス・コーチング」ですが、同じテーマをプライベートで語れば「パーソナル・コーチング」に変わります。
経営者が家族間問題の解決を望んだら、いったいそれはどこに分類されるのでしょう。
主婦と経営者では、家族問題に対して異なるアプローチが存在するのでしょうか?

次ぎにビジネス・コーチングについて考察しましょう。
ビジネス・コーチングは一対一でセッションを持つ場合と、グループ・コーチングとして集団に用いられる場合があります。
また対人援助というよりは人材(プロセス)マネジメントの比重が高く、そういう意味では特別な知識・経験がないと務まりません。
しかし今述べた専門性は「コーチング特有の技法」ではありません。
すでに世の中に存在する「人材(プロセス)マネジメント技法」です。
したがってどんなに専門性が高くても、ビジネス・コーチングに特有な「コーチング技法」については何も説明できていないのです。

つまり、わたしの結論はこうです。
現代の分類法では、コーチの特徴や資質を推し量ることは不可能。
極端に細分化されたネーミングでも事態は同じです。
例えば「恋愛コーチ」と名乗るコーチが、色恋の知識や経験が豊富なことは容易に想像できます。
しかしどのような手法や技法を得意とするのかまったく判然としません。
これはカウンセラーが「得意なのはカウンセリングです」と言っているようなものです。
語弊があるかもしれませんがもっと分かりやすく例えるならば、占い師が「わたしは恋愛の占いをしています」と言っているのは同じ事なのです。
道具として水晶を使うのかタロットカードを使うのか手相を見るのか語ろうとしない占い師がいたらどうでしょう。
結局いまの分類法は何も説明していない。
いや、説明不可能な分類であって、この分類法だけが一人歩きをしているのです。

そもそもコーチを名乗る人は、自分の手法・技法的な特徴を、いったいどれだけ差別化できているのでしょうか?
いつの間にか自明となった分類法によって、自分の特徴を見失ってはいないだろうか?

さて、このような論考からわたしは、コーチングはまず「自己達成型コーチング」と「自己成長型コーチング」に分類すべきだと提案します。

そして自己達成型コーチングは、各種コンサルティング・マネジメントの異名であると結論付けます。
また自己達成型コーチングは、ある種のカウンセリング、心理療法の翻案であるとやはり結論付けます。

この2つのコーチング思想を無自覚的に取り入れ同次元で扱うため、コーチングは思想として混乱するのです。
posted by Shigeo at 08:58| 【4】コーチングの理論基盤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年12月07日

(12)決別に至る経緯、またはパンドラの箱(下)

さて、このように両者は「コーチング」と名乗ってはいるが、あまりに思想が異なっている。
これだけであれば単に「同じ名前にしただけ」とも考えられます。
つまり争点は「どっちが本家か?」という名産品や郷土料理の争いということになる。
しかし現実には、両者を含む多くのコーチ養成機関には、ある共通のスキルや思想が共有されている。
この驚くべき共通項から、何かしらの「原型」があったのではないかという推測が成り立ちます。
それは「傾聴・承認・質問」などと呼ばれるコミュニケーション技法です。
どの流派、どの養成機関であってもこの3つは外しません。いわば三種の神器です。
いっそ「質問は一切しない」という流派があれば簡単なのですが、残念ながらわたしは出会ったことがない。
したがって、目的や結果が如何に異なろうが「傾聴・承認・質問」を含む限り、コーチング理論は一つの「原型」から派生したものと解釈できると考えます。
この推論から、未だまったく見えてこないCoach Universityのカリキュラムの中にも「傾聴・承認・質問」は含まれているのだと容易に想像できるのです。

そこでわたしは以下のように推察し、隠された物語を再構築しました。

レナード氏は、フィナンシャル・プランナー時代に培ったノウハウをコーチングと名付け、これを養成する機関を作ることでビジネス的な成功を夢見た。
ただしフィナンシャル・プランニングや成功法則だけでは養成機関として物足りない。
まして既存の自己啓発セミナーとの差別化ができない。
そこで彼は、様々な分野の専門家に協業を打診したのではないか?
その結果集まったのがCTI創立者の誰か。
他にもいたかもしれません。

レナード氏がどの程度まで現在のスタイルのコーチングを想定していたかは判然としませんが、結果的にCoach Universityが実利的、CTIが人間形成的であるという事実から鑑みれば、レナード氏は最新のカウンセリング・セラピーの対する理解や共感が薄かったのではないかと考えられます。
つまり、レナード氏の呼びかけに応じたCTI創設者は、コーチングという言葉には果てしない魅力と可能性を感じたが、結局レナード氏の実利主義についていけなかったのではないか。

たとえば、CTIはかなり詳しい理論やスキル・ツールに至るまでを書籍で公開しています。
そういう意味で「コーチング・バイブル」はとても有益な書籍です。
しかしCoach Universityの理論やスキルを解説した書籍は、少なくても日本語では入手できない。

これは何を意味するかというと、カリキュラムやツールを非公開化することで、ビジネス利益を集中させる手法を用いている可能性です。
つまり養成講座への申し込みがマニュアル開示の条件です(自己啓発セミナーの常套手段です)。

もし理想論的に「人間の成長をサポートする取り組み」を世の中に広めたいと思うのならば、養成機関を作るにしてもその理論やスキル、ツールを書籍やWebサイトで公開するのが自然です。
「啓蒙」とはそういうものです。
誰もが手軽にその思想に触れることができ、賛同することも批判することも受容する姿勢です。
自己啓発セミナーが問題視されるのは、まさにこの「啓蒙」思想の欠如にあります。
「詳しくは別室で」「もっと知りたければ入会して」と勧誘して導いた先にあるものは閉じられた世界での批判反論を排除した一義的な思想、すなわち「洗脳」です。

さて、レナード氏の持っていたノウハウとCTI創設者の心理学的理論やスキルを融合すれば、それはとても画期的で、有用性の高い取り組みになったと想像できます。

しかし両者は水と油くらいに考え方も理想もかけ離れていたのでしょう。
一度は共同事業化を夢見ましたが、それは無惨にも潰え、かなりぐちゃぐちゃの状態で両者は別々に事業を立ち上げたのではないか?

そしてたぶん、パテント、著作権などは後回しになり、それぞれが創立後は両者の関係も疎遠になり(断絶したかもしれません)、最早うやむやにして闇に葬るしかなかったのではないか。
つまりわたしが明らかにしてきたことは、開けてはならないパンドラの箱だったのです。

わたしはとにかく不思議でなりませんでした。
米国は何でもかんでも商標登録する国です。
「コーチ、コーチング」は無理でも「ビジネス・コーチ」「パーソナル・コーチ」は商標登録できたはずです。
しかししていない。
できなかった。
(ちなみに他社によって「health coach」は商標登録化されている。この事実をもってしても初めてビジネス・コーチと名乗った組織(個人)が商標登録しなかったことはあまりに不自然です)

これだけでは、創設期の激しい混乱の事実を物語る証拠としては不十分でしょうか?

しかしこんな想像をしてみると「コーチング・バイブル」の謝辞にさり気なくレナード氏の名前をもぐり込ませた・・・この事実がとても胸に響いてくるのです。
posted by Shigeo at 20:22| 【3】コーチングを発明した人々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月28日

(11)決別に至る経緯、またはパンドラの箱(上)

何度も書いてますが、Coach UniversityとCTIは「同じ年」に創設されました。
それなのに一緒に語られることがない。
更に付け加えるならばICFも同じ年に発足しています。
これはあまりに「不自然」な状態だというのが一貫したわたしの主張です。
それ故にわたしは、両者は最初は一緒にコーチ養成機関の設立を目指した仲間で、しかし何らかの事情により決別した結果だったのではないか?と推察しました。
この推察は確かめられないのか?

そこで、両者の著作から、その決別の理由を探ってみようと思います。
レナード氏の著作は「ポータブル・コーチ」
CTIは「コーチング・バイブル」です。

前回ご紹介したように「ポータブル・コーチ」は金太郎飴のようにどこを切っても成功法則本でした。
コーチなんかどこにも登場しない。
セルフ・コーチングと言うにはあまりに指示的すぎる。
全編を貫くテーマは「現世ご利益」
「結果=利益」という構図を覆い隠すことなく堂々と表明しています。

しかし考えてみれば当たり前なのかもしれませんが、レナード氏の前身はフィナンシャル・プランナー。
クライアントに具体的な利益(富み)をもたらすことが最重要テーマです。
氏はその経験を活かして「コーチング」を編み出したわけですから、利益追求は当然の流れ・・・とも言えるのです。
また、こういう対人援助業を全面的に否定するつもりもありません。

しかしそれならば、現在多くのコーチングに関する書籍やWebサイトで述べられている「コーチングはクライアントの自立を促進する」や「コミュニケーションを豊かにする」や「自分らしく生きるために」など理念はいったいどこから来たのでしょう。
それどころか、利益追求を一切謳ってない書籍や養成機関も少なくありません。

そこで次ぎにCTIの書籍を見てみます。
「コーチング・バイブル」もよると、コーチングの最大の目標は「フルフィルメント」=充足感。
しかも具体的に「クライアントの目標が家族と過ごす時間を大切にする」ことであれば、昇進、賃金アップの打診は、収入は確かに増えるが本来の目標に反するのではないか?と「指摘」すべきだとまで書かれている。

これは、ポータブル・コーチで述べられている思想とあまりに対極的です。

さらにCTIジャパンのWebサイトにおいては「コーアクティブ・コーチングはプロのコーチを育成することを目的として構築された一つの体系」ではあるが、その活用範囲は多岐にわたると書かれています。
たとえば「人材育成」や「関係改善」あるいは「子育てや学校教育における生徒指導」それから「友人や夫婦間のコミュニケーション力の向上」さらには「自分自身を見つめ直すきっかけ」にも役立つとある。
つまり「およそあらゆる人間関係、あらゆる組織の中で活用できる新たなコミュニケーションスタイルであり、基本的な「ヒューマン・スキル」であると語られているのです。

気づかれました?
今、一般的に考えられている「コミュニケーション・スキル」としてのコーチングととても近いのがCTIの思想です。

この違いを一般的には「Coach Universityはビジネス・コーチングに特化、CTIはパーソナル・コーチングに特化」と言い表されています。
コーチング・バイブルにも「コーアクティブ・コーチングはパーソナル・コーチング」とはっきりと書かれています。

「なるほど!だから先駆者グループは仲違いしたのか?」
と考えるのは残念ながら早計です。

もう少し両者の違いを見ていきましょう。

Coach Universityには、具体的な結果を明確に追求する傾向が感じられます。
つまりそれはとてもコンサルティング的なのです。
もっとはっきり述べるなら、個人向けコンサルティングをコーチングと改名しただけ、とも感じられるのです。

Coach Universityと独占契約を結んだコーチ21が監修する「コーチング選集」第一巻「コーチング5つの原則」という書籍があります。
この前文で監修者は「コーチングを学ぶにふさわしい海外の書籍を厳選」と書かれていますので、コーチ21のコーチング論に合致した内容であると考えられます。
更に、コーチ21はCoach Universityと独占契約を結ぶくらいですからCoach Universityのコーチング論と近いと考えられるわけです。
回りくどい説明でしたが、しかるに「コーチング5つの原則」はレナード氏の考えに近い具体的なコーチング論と捉えて間違いはないであろうと言いたいわけです。

となると「コーチング5つの原則」もとても不思議な本です。
「結果が出なければコーチングとは言えない」
「『コーチングは完璧でした。でも結果は伴いませんでした』では、意味がない」など、驚くくらいの実利主義です。

・・・人間形成とか自立や豊かな対人関係はどうなっているのでしょか?

このように焦点を「結果」に当てると、両者の違いがより鮮明になって来ます。

Coach Universityはコンサルティング的であり、実利的結果優先的。
CTIは「全体的」な充足感。結果ではなく人間の成長と自立を目標とする。

しかしこの違いは天地ほどの落差がある。
例えるなら「道場」と「人生相談」くらいの違いです。
同じ「コーチング」という言葉を使ってはいるが!

では両者のコーチングには共通項はまったく存在しないのか?
もちろん、存在します。
そしてその共通項こそが、両者の決別を証明する証拠であると考えられるのです。
posted by Shigeo at 17:45| 【3】コーチングを発明した人々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月21日

(10)レナード氏のコーチング

ここまでの流れを一度整理しましょう。

1.スポーツのコーチが今のコーチングの源流のように語られているが、それは意図的なハロー効果の期待であり、現在の混乱の元凶となっている。

2.コーチングの創始者については、いくつかの記述は散見できるが、いずれも単発もしくは同じ文節に過ぎず、追認を確認できる文献には行き当たらず、現時点では「ビジネスにコーチ」と最初に言ったのは誰だかわからない。
(例えば「ルー・タイス氏が初めてスポーツ界以外にコーチングを持ち込んだ」との記述も見られるが、現時点ではこれもまた追認する文献を見出していない)

3.どうして同じ年に2つのコーチ養成機関が誕生したのか、誰も説明していない。

4.先駆者らしいトマス・レナード氏の存在は、どうしてこうも軽んじられるのか?

5.日本と米国では、状況や手法、認識などが異なっている可能性がある。
(日本での独自進化の可能性)

では、どうして日本ではレナード氏離れが起こっているのか?
今回はこの点を検証します。

では氏の著作を実際に読んでみましょう。

「いつも『いいこと』が起こる人の習慣(自分を画期的に改善する21の法則)(2001 三笠書房)」

これがレナード氏の「代表的な」著作です。
タイトル見て・・・何かを感じませんか?
ポジティブシンキング・成功法則の臭いがぷんぷんします。
ただし原題は「The Portable Coach」
ずいぶんシンプルです。
現在では版権が移動して、原題通り「ポータブル・コーチ」として発売されています。
(コーチ21系の出版社です)

しかしこの書籍、目次を開いただけで明白なのですが、(いわゆる)コーチングの本ではなく「成功法則」本です。
「はじめに」にはこう書かれています。

「私は、底の浅い積極志向は嫌いである」
「そんなあなたに、本物の「積極思想」を一つプレゼントしよう」
「本書で紹介する二十一の「魅力の法則」
「なかには、たった三ヶ月で、生活保護受給者から一転して年間六万ドルの事業収入を得るまでになった人もいる」

・・・いかがですか?
中身の充実度はさておいて、どこをどうとっても「成功法則」

そして氏は、
「金、仕事、人間の内面といったあらゆる分野を統合して」「長期的な成功の手助けをする」ために今の仕事を始めたと記します。
更に、
「私の知る限り、私より前にこの仕事を始めた人はいない」
と。

それはたぶん事実です。
何回か前で書きましたが「成功法則」を教える機関はすでに存在していましたが(ナポレオン・ヒル財団等)、成功法則に則って具体的にマンツーマンで伴走しようなんて考える人はいなかった。
だからレナード氏の発明は画期的なわけです。

しかし・・・これって、ちょっと違うと感じませんか?
いや、はっきり言えば、今わたし達が知っているコーチングと、かなり異なっています。
それとも、わたしの認識が間違っているのでしょうか?

古書店にいけば100円で投げ売りされているたぐいの本ですから、興味があったら探してみて下さい。
ちなみにわたしはアマゾンで1円で買いました。

とにかくレナード氏は、1998年に米国でこんな本を出版していたのです。
コーチ・ユニバーシティを開設して6年後に。
こういう方が作ったコーチ養成機関とは、いったい如何なるカリキュラムだったのでしょう・・・

すでに述べましたが、如何に成功法則と切り離すかが「コーチング」には重要だったと。
確かに名前は変えた。
パラダイムシフトもできた。
しかし・・・中身は成功法則そのままだったたしたら・・・
つまりレナード氏は「コンサルティングをコーチング」に置き換えただけだったのではないか?
と考えられるのです。

わたしたちはこの事実を、衝撃を以て受け止める必要があります。
何故なら、どう読み替えようとも「ありふれた」成功法則本としか読めないコーチ・ユニバーシティ創設者の代表的著作がポータブル「コーチ」と題されているからです。

なぜ、コーチ21の伊藤氏が、コーチングに初めて接したとき「目新しいとは思わなかった」と印象を語られたかが、これではっきりしたと思いませんか?
伊藤氏が魅力を感じたのは、やはり「コーチ・コーチング」という名前だけだったと、あらためて推察できるのです。

ところで現在、米国のサイトでCoach Universityを検索すると、何故か「Coach U」がヒットします。
名称変更でしょうか?
それも「わからない」
どこにも説明はないのですから。
そしてこのCoach Uのサイトの中に、レナード氏は「Father of Coaching」と呼ばれているとの記述があります。
「コーチングの父」ということでしょうか。
コーチ・ユニバーシティでは、レナード氏にそれなりの敬意を表しているようです。
しかし日本ではほとんど関心が示されない。

それは何故か?

つまり日本の関係者こそが、レナード氏とコーチ・ユニバーシティにつきまとう「成功法則」の影から決別したいと考えたのではないのか?
と推察できるのです。

そしてこの推察が、「コーチングは日本で独自に発展した」という仮説を裏付ける根拠にもなるのです。
posted by Shigeo at 17:47| 【3】コーチングを発明した人々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年11月09日

(9)日本の事情

さて、前回までコーチングの成立事情について考えてきました。
もちろん全ては僕の推測です。
全て勘違いや単なる妄想かもしれない。
だけど、期せずして同じ年に創設された、共に「コーチ養成」を標榜する組織が、一緒の文脈で語られることが「まったくない」というこの事実。これはいったい何を意味しているというのでしょうか?
(これもまた後ほど)

ところで実は、成立事情だけではなくコーチングに関してますます混乱してしまう記述が存在します。
これもある意味、とても不思議な内容です。
・・・理解しがたい、と言っても過言ではないでしょう。

JCAコーチングニュース[Vol.3] 2002.9.2
http://www.coach.or.jp/news/backnumber/20020902.html

「しかし、最近のICFで最も大きな話題は、他のコーチング支援機関の登場です。特にICFの設立者のひとりであり、コーチング業界をリードしてきたトマス・レナード氏がコーチングについてより気軽に勉強できるバーチャル教育機関を武器に半年足らずで1万人の会員を集めたことは、ICFに対抗する脅威的な存在として捉えられています。 」(平野圭子氏によるコラム)

ICCとは「国際コーチ連盟」のこと。
筆者の平野氏は、その国際コーチ連盟のボード・メンバーというものに日本人として初めて選出され、3年間務められた方で、コーチ21創設のお手伝いもされていたようです。

しかしそれにしても「不思議な話」です。

何故ならトマス・レナード氏が創設したバーチャル教育機関とはCoach Universityに他なりません。
しかしCoach UniversityとICFの発足は同じ年(1992年。ただし正式なICFの設立は’96年)。
そして、このコラムの掲載か2002年。
設立から10年経った時点で「最近」「半年足らずで1万人の会員を集めた」と言っているのです。
・・・では、それまでの10年間のCoach Universityとはどんな状況だったのだろう・・・

それともう一つ、Coach UniversityとICFの関係について述べられている文献も極めて少なくて、同じ年に発足されたのだから、ICFの設立には相当Coach Universityの意向が反映されていると考えられるのですが、平野氏は「ICFに対抗する脅威的な存在」と語っているのです。
・・・どうやら、日本には伝わらない「何か」があるようです。
というか、それらは意図的に隠匿されているのでしょうか?

ちなみに同じコラムの中にはこんな記述もあります。

「日本におけるコーチングの広がりは、特にマネジメントの領域で欧米の何倍もの速さで広まっています。日本のコーチング業界を育てるパイオニアとしてのミッションは、知識と実践の両方をスキルアップすることであると感じています。日本発コーチングモデルが世界基準になるのも、そう遠くはないのかもしれません。」

・・・つまり、日本のコーチングビジネスは本家米国をしのぐ勢いであると?
加えて「日本発コーチングモデル」が「世界標準になる」可能性もあると?
本当に世界標準になるかどうかという可能性については今は何も語れませんが、ここで注目すべきなのは「日本発コーチングモデル」という記述です。

記憶によるとコーチ21の沿革には、前身の会社が「Coach Universityと日本における独占提携契約を結ぶ」とあります。
コーチングについては疑問だらけのわたしですが、一番の疑問は肝心のCoach Universityのカリキュラムや理論がまったく明らかにされていないことに尽きます。
CTIは公式ガイドブック的なものがあります。
しかしマス・レナード氏はカリキュラムや理論について一切「書いていない」

これは米国のAmazonサイトで確認した結果です。
レナード氏の著作で日本で翻訳されているのは、いわゆる「ポジティブシンキング」関係の本が2冊のみで、しかしこれは本国米国でも似たような状況でした(これも後ほど書きます)。
ただしトマス・レナード氏は、数年前に若くして亡くなられています。
もし存命であれば、独自のコーチ論や、コーチングビジネスの歴史についてとか、書いてくれたかもしれません。
そういう意味では、とても残念です。
が、結果論で残念と思えるだけで、レナード氏が存命であっても「理論書」を著述したとは思えません。

このように日本にいて、日本語の文献を漁る限りにおいては、日本のコーチ業界とCoach University、さらには国際コーチ連盟との温度の違いに驚かされる。
・・・もしくは深い亀裂が感じられる・・・と考えられてなりません。

トマス・レナード氏は・・・とても有能なコンサルタントだったのかもしれません。
書籍(難病患者を支えるコーチングサポートの実際)に「レナード氏が自分が構築してきた理論や技術をコーチングとしてまとめ」Coach Universityを設立したと書いてあることも事実なのかもしれません。
というか、現時点のわたしには、そう推測するのが限界です。

そういう前提で少し穿った見方をすれば、レナード氏亡き後のCoach Universityには、あまり魅力がないのかもしれない。
見方を変えれば、Coach Universityと「良好で緊密」な関係を続けられない理由があるのか?とも考えられるわけです。

でもとにかく、マイルズ・メイル氏が何を書いたかはっきりしないように、Coach Universityについてもまったく見えてこないのは事実。

つまり最早「Coach Universityも年表を埋める道具」になってしまったようです。
これだけは間違いのない事実。

もちろん、日本においては、という意味ですが。
posted by Shigeo at 21:31| 【3】コーチングを発明した人々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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